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NBA

乱世の80~90年代に存在感を放った “用心棒”。チャールズ・オークリーがNBAに残したもの【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.04.14

1年目はオールルーキー1stチームに選ばれると、2年目、3年目にはリーグ2位の平均リバウンド数をマーク。ジョーダン率いるブルズの重要な戦力となった。(C)Getty Images

1年目はオールルーキー1stチームに選ばれると、2年目、3年目にはリーグ2位の平均リバウンド数をマーク。ジョーダン率いるブルズの重要な戦力となった。(C)Getty Images

「ブラッドはいずれプロになるんだろうなって、みんなが思っていた。俺はゲットー出身の、どこにでもいるような選手としか思われてなかったのさ」。

 もっともセラーズの方はといえば「オークリーにはいつもやられていたよ。彼とのマッチアップではほとんど何もさせてもらえなかった」と、高校時代を振り返っている。

 学業成績が振るわなかったこともあり、高校卒業後はバスケットボールの強豪校ではなく、無名のバージニア・ユニオン大に進学。すると、同校の所属していたディビジョンⅡで、オークリーを加えたチームは無敵の存在となる。「大きすぎるし、強すぎるし、上手すぎる。誰も彼を止められない」と、対戦相手のコーチたちを嘆かせたオークリーは、最終学年で平均24.0点、17.3リバウンドという好成績を残し、年間最優秀選手にも選出された。

 この頃には、NBAのスカウトからラブコールを送られる存在になっていたオークリー。なかでも熱心だったのが、シカゴ・ブルズのジェリー・クラウスGMだった。迎えた1985年のドラフトで、オークリーは全体9位で地元のキャバリアーズから指名されるのだが、直後にクラウスは2選手と交換でブルズへ引き抜いたのである。
 
 入団交渉は思いのほか難航したが、リバウンドの数字に出来高条項を盛り込むことで9月にようやく合意。「出来高があろうとなかろうと、懸命にプレーするのは変わらない。ルーキーだからって関係ないさ。誰も俺を恐れさせることなんてできない」と、オークリーは自信たっぷりに語っていた。

 その言葉通り、NBAのコート上で恐れをなしたのはルーキーの彼ではなく、歴戦のベテランたちだった。リバウンドを奪うためにボックスアウトする時も、味方のチャンスを作り出すためにスクリーンをかける時も、オークリーは一切物怖じすることなく、その屈強な肉体をフル活用する。1980年代のNBAでは、現在よりもはるかに激しい肉弾戦が繰り広げられていたが、そのなかでもオークリーの強さは出色だった。

 リバウンドの際には競った相手に腕を絡め、エルボーで吹き飛ばす。逆にやり返されてもお構いなしで、涼しい顔で受け流した。さらに彼は、単にフィジカルなだけでなく、クレバーな一面も備えていた。ヘルプディフェンスが的確で、また相手の得意なシューティングゾーンを熟知し、簡単にシュートが打てるようなポジション取りをさせなかったのだ。その頭の良さは攻撃面でも発揮され、オープンな選手を素早く見つけ出してパスを送る、あるいは自らがミドルシュートを放つといった状況判断を滅多に誤らなかった。

 1年目から平均9.6点、8.6リバウンドでオールルーキー1stチームに選ばれると、2年目の86-87シーズンは14.5点、そしてリーグ2位の13.1リバウンドを奪取。リバウンド総数1074本は堂々の1位で、さらに翌シーズンも総リバウンド数1位に輝く。こうしてオークリーは、若きスーパースター、マイケル・ジョーダンを擁して強豪へと上り詰めようとしていたブルズの重要なピースとなっていった。(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年7月号掲載原稿に加筆・修正。

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