一切の妥協を許さない、タフなオークリーのプレースタイルは、ニューヨークでも圧倒的な支持を得る。オークリーが巨体を投げ出してルーズボールにダイブするたびに、マディソンスクエア・ガーデンの観衆は沸き立った。チームの中心であるユーイングに欠けていた力強さ、熱さを補う意味でもオークリーは理想的な選手で、チームメイトからも絶大な信頼を寄せられる。
「オークについては何も心配しなくていい。どんな状況でも常にハードにプレーして、勝つために必要なことをするんだ」(ハーブ・ウィリアムズ)。
ただ、決してとっつきやすい性格ではなかったのも確かで、現役時代にニックスでチームメイトだったドック・リバース(現ロサンゼルス・クリッパーズHC)は、こんな風に振り返っている。
「いつも何かに対して文句を言っていたな。靴のサイズが合わないとか、食事のチキンがしょっぱ過ぎるとか……(笑)。まあ、それでも愛すべき男だったんだけどね」。
91年にパット・ライリーがHCに就任してからは、彼の推進するアグレッシブなディフェンスの核として、さらに存在感を増していく。
93-94シーズンにはオールディフェンシブ1stチームに選出され、ミネソタで行なわれたオールスターゲームにも出場。同年は初めてファイナルの舞台にも立ち、ヒューストン・ロケッツを相手に7試合中4試合でダブルダブルを記録する。特に第4戦では16得点、20リバウンドの大活躍で、勝利に大きく貢献した。
残念ながら最終戦に敗れてチャンピオンにはなれなかったが「これまでマイケル率いるブルズに何度も敗れたことを思い出させられたけど、大して気にはしていない。もちろん勝ちたかったのは山々だが、もう終わったことだからな」と、オークリーは淡々と敗戦を振り返っている。
その後もニックスの中心選手として活躍を続けたが、98年にマーカス・キャンビーとの交換でラプターズへトレード。ジェフ・ヴァンガンディHCからは「FAになったら必ず戻ってきてくれ」と懇願されていたが、結局ニューヨークには戻らず、ブルズ、ウィザーズを経て最後はロケッツで引退した。
引退する前の数年間は気難しさに拍車が掛かり、首脳陣や若い選手たちに愚痴まじりの苦言を呈して煙たがられたが、引退後も一言居士ぶりを存分に発揮。同年代のライバルだったチャールズ・バークリーをこき下ろしたり、キャバリアーズのレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)がFAになった時は「ニューヨークになんて行くんじゃない。シカゴかマイアミがオススメだ」と発言したりして、ニューヨーカーたちの怒りを買った。
オールドタイプのPFが姿を消しつつあるのと同様に、最近はコート外でもオークリーのような昔気質の選手はあまり見かけなくなった。インタビューでは優等生的な発言に終始し、本音を口にする者は滅多にいない。もし、オークリーのように外見も中身もギラギラしている選手が出てくれば、NBAはきっと今以上に面白くなるだろう。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年7月号掲載原稿に加筆・修正。
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「オークについては何も心配しなくていい。どんな状況でも常にハードにプレーして、勝つために必要なことをするんだ」(ハーブ・ウィリアムズ)。
ただ、決してとっつきやすい性格ではなかったのも確かで、現役時代にニックスでチームメイトだったドック・リバース(現ロサンゼルス・クリッパーズHC)は、こんな風に振り返っている。
「いつも何かに対して文句を言っていたな。靴のサイズが合わないとか、食事のチキンがしょっぱ過ぎるとか……(笑)。まあ、それでも愛すべき男だったんだけどね」。
91年にパット・ライリーがHCに就任してからは、彼の推進するアグレッシブなディフェンスの核として、さらに存在感を増していく。
93-94シーズンにはオールディフェンシブ1stチームに選出され、ミネソタで行なわれたオールスターゲームにも出場。同年は初めてファイナルの舞台にも立ち、ヒューストン・ロケッツを相手に7試合中4試合でダブルダブルを記録する。特に第4戦では16得点、20リバウンドの大活躍で、勝利に大きく貢献した。
残念ながら最終戦に敗れてチャンピオンにはなれなかったが「これまでマイケル率いるブルズに何度も敗れたことを思い出させられたけど、大して気にはしていない。もちろん勝ちたかったのは山々だが、もう終わったことだからな」と、オークリーは淡々と敗戦を振り返っている。
その後もニックスの中心選手として活躍を続けたが、98年にマーカス・キャンビーとの交換でラプターズへトレード。ジェフ・ヴァンガンディHCからは「FAになったら必ず戻ってきてくれ」と懇願されていたが、結局ニューヨークには戻らず、ブルズ、ウィザーズを経て最後はロケッツで引退した。
引退する前の数年間は気難しさに拍車が掛かり、首脳陣や若い選手たちに愚痴まじりの苦言を呈して煙たがられたが、引退後も一言居士ぶりを存分に発揮。同年代のライバルだったチャールズ・バークリーをこき下ろしたり、キャバリアーズのレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)がFAになった時は「ニューヨークになんて行くんじゃない。シカゴかマイアミがオススメだ」と発言したりして、ニューヨーカーたちの怒りを買った。
オールドタイプのPFが姿を消しつつあるのと同様に、最近はコート外でもオークリーのような昔気質の選手はあまり見かけなくなった。インタビューでは優等生的な発言に終始し、本音を口にする者は滅多にいない。もし、オークリーのように外見も中身もギラギラしている選手が出てくれば、NBAはきっと今以上に面白くなるだろう。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年7月号掲載原稿に加筆・修正。
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