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NBA

大学No.1選手から脇役へと転身。知性と情熱の男、シェーン・バティエの物語【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.04.22

デューク大では名将コーチK(右)の下、チームの中心選手に成長。最終学年の2001年には優勝をはじめあらゆる個人賞を総なめにした。(C)Getty Images

デューク大では名将コーチK(右)の下、チームの中心選手に成長。最終学年の2001年には優勝をはじめあらゆる個人賞を総なめにした。(C)Getty Images

 バティエのバスケットボール人生で最も輝いていたのが、このデューク大での4年間だろう。特に最終学年の2001年はNCAAトーナメントを制し、ファイナル4の最優秀選手となっただけでなく、ネイスミス賞、ウッデン賞、『AP』や『スポーティング・ニューズ』誌といったメディアが選出する最優秀選手賞など、カレッジバスケ界の個人賞を総なめ。あらゆる栄誉を手にしたバティエの背番号31は、最終学年のトーナメントが始まる前の時点で、すでに永久欠番に認定されていた。

 とはいえUCLA時代のカリーム・アブドゥル・ジャバーやビル・ウォルトンのような、モンスター級の数字を残したわけではない。「ヴィンス・カーター(現アトランタ・ホークス)みたいに空中を歩けないし、アイザイアのように点を取りまくることもできない。だから僕みたいな選手は、とにかく練習を積んで上手くなるしかなかったんだ」。

 身体能力に恵まれていなかった分、こうした真摯な姿勢と情熱、優れたバスケIQこそが彼の最大の武器となった。また、マイク・ダンリービー(元インディアナ・ペイサーズほか)やカルロス・ブーザー(元ユタ・ジャズほか)といった、のちにNBAに進む個性派をまとめるリーダーシップも高く評価されていた。
 
 多くの名選手を指導したデューク大のマイク・シャシェフスキーHCも当時、「シェーンほど完璧な選手はいない。最も才能に恵まれた選手ではないが、コート内外で、様々な形でチームに貢献してくれている。あの年齢であれほど成熟した人間を、私は見たことがない」と誉めちぎっていたものだ。

 学生の本分である勉学でも、宗教学を専攻して目覚ましい成果を収めたバティエは、01年にデューク大のバスケットボール選手で初めて、「アカデミック・オール・アメリカン・オブ・ジ・イヤー」に選出されている。夏季休暇の間はウォール街でインターンとして職業経験を積み、エリートの証であるローズ奨学生の候補にも名前が挙がった。

 するとこの頃には、誰もが彼をブラッドリー上院議員と比較して語るようになっていく。「最初に会った時にこう思ったよ。この男は未来の大統領に違いないってね」(デューク大の体育部長、クリス・ケネディ)。(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年12月号掲載原稿に加筆・修正。

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