1991、92年にデューク大で全米の頂点に立ったヒルの下には、ナイキをはじめとする各スポーツブランドの関係者が将来の話をしにやってきていたという。しかしヒルは「大学時代はクリスチャン・レイトナーやボビー・ハーリーの方に興味があって、誰もが群がっていた。僕のところに来るのは、おそらくついでだったと思う。僕目当ては1人もいなかったと思うよ」と冷静に当時を振り返った。
ヒルに最後までアプローチを続けたのはナイキ、リーボック、そしてフィラの3社だったそうだ。大学時代はチームのサプライヤーであったアディダスを履いていたヒルだが、アディダスは10年前にジョーダンを逃した時と同じように、ヒルのためのシグネチャーシューズを用意する気はなかったようだ。最後まで競合したなかで、一番力があったのはナイキで間違いない。では、資金面、組織、知名度など、あらゆる面で他社よりも上回っていたナイキに、なぜヒルの心は傾かなかったのか。
「何が良くて、何が良くないという、契約条件が問題になったわけではなかった」とヒルは言う。カレッジプレーヤーとしてすでに名実ともに最高峰だったヒルだが、NBAでそれが通用するかどうかは五分五分で、何の保証も無かった。ただし、コート上でのパフォーマンス以上に、彼のある部分を評価していた者たちもいた。
「運動能力とかバスケットボールの上手さということよりも、ヒルにはすでにしっかりとした精神力が備わっていた。こんな選手は珍しい。ラリー・バードがルーキーの時にもこんな感じが漂っていたけどね」と、ロン・アダムズ(ゴールデンステイト・ウォリアーズのアシスタントコーチ)は大学時代のヒルを振り返る。
ナイトもヒルの精神的な部分を見い出し、そこに惚れ込んでいたと言われている。ジョーダンの場合はそのスーパープレーを出発点としてスタートし、そのあとになってメンタルの強さを身につけ、ジョーダン流のメソッドを確立した。当時のナイキはブランドイメージとして即物的な瞬発力は必要としておらず、長く続く精神的なイメージをより必要としていたのだろう。
しかし、ヒルはジョーダンの存在を理由にナイキとの契約を前に進めなかった。シャキール・オニールからは「いくらナイキがジョーダンとは違うものをグラント(ヒル)に求めると言ったとしても、ジョーダンはあまりにも偉大すぎる。何をどうしようとジョーダンの次にしか見えない。ナイキと契約したらいつまでもジョーダンの影を背負っていく事になる」と言われたそうだ。
両親にも相談したが、最後は自分で決断し、ヒルはフィラを選んだのだ。あの頃のヒルにとってフィラと契約すると心に決めたことは、自分がジョーダンを超える選手になるための、布石を打つ行為だったのかもしれない。
1998年のNBAファイナル第3戦。ヒルはユナイテッド・センターのコートサイドでブルズ対ジャズの頂上決戦を観戦していた。最後かもしれないジョーダンの姿を見届けようと、ファイナルの全試合を観ることにしていた。すると試合が終わった時、白髪の男がヒルに声をかけた。
「今でもナイキは君を待ってるよ」
ヒルはナイキの最高責任者に向かってこう返した。「ジョーダンが引退してから考えてみようかな」。
文●北舘洋一郎
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ヒルに最後までアプローチを続けたのはナイキ、リーボック、そしてフィラの3社だったそうだ。大学時代はチームのサプライヤーであったアディダスを履いていたヒルだが、アディダスは10年前にジョーダンを逃した時と同じように、ヒルのためのシグネチャーシューズを用意する気はなかったようだ。最後まで競合したなかで、一番力があったのはナイキで間違いない。では、資金面、組織、知名度など、あらゆる面で他社よりも上回っていたナイキに、なぜヒルの心は傾かなかったのか。
「何が良くて、何が良くないという、契約条件が問題になったわけではなかった」とヒルは言う。カレッジプレーヤーとしてすでに名実ともに最高峰だったヒルだが、NBAでそれが通用するかどうかは五分五分で、何の保証も無かった。ただし、コート上でのパフォーマンス以上に、彼のある部分を評価していた者たちもいた。
「運動能力とかバスケットボールの上手さということよりも、ヒルにはすでにしっかりとした精神力が備わっていた。こんな選手は珍しい。ラリー・バードがルーキーの時にもこんな感じが漂っていたけどね」と、ロン・アダムズ(ゴールデンステイト・ウォリアーズのアシスタントコーチ)は大学時代のヒルを振り返る。
ナイトもヒルの精神的な部分を見い出し、そこに惚れ込んでいたと言われている。ジョーダンの場合はそのスーパープレーを出発点としてスタートし、そのあとになってメンタルの強さを身につけ、ジョーダン流のメソッドを確立した。当時のナイキはブランドイメージとして即物的な瞬発力は必要としておらず、長く続く精神的なイメージをより必要としていたのだろう。
しかし、ヒルはジョーダンの存在を理由にナイキとの契約を前に進めなかった。シャキール・オニールからは「いくらナイキがジョーダンとは違うものをグラント(ヒル)に求めると言ったとしても、ジョーダンはあまりにも偉大すぎる。何をどうしようとジョーダンの次にしか見えない。ナイキと契約したらいつまでもジョーダンの影を背負っていく事になる」と言われたそうだ。
両親にも相談したが、最後は自分で決断し、ヒルはフィラを選んだのだ。あの頃のヒルにとってフィラと契約すると心に決めたことは、自分がジョーダンを超える選手になるための、布石を打つ行為だったのかもしれない。
1998年のNBAファイナル第3戦。ヒルはユナイテッド・センターのコートサイドでブルズ対ジャズの頂上決戦を観戦していた。最後かもしれないジョーダンの姿を見届けようと、ファイナルの全試合を観ることにしていた。すると試合が終わった時、白髪の男がヒルに声をかけた。
「今でもナイキは君を待ってるよ」
ヒルはナイキの最高責任者に向かってこう返した。「ジョーダンが引退してから考えてみようかな」。
文●北舘洋一郎
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