「コビーにはエゴがあったが、他の連中とは少し違っていた。俺が言っているのは、先輩に対して何をすればいいか聞くことについてのエゴだ。どうすればもっと上手くなれるのか、それをひたすら追求していた。マッチアップするたびにアドバイスを求めて、耳元でささやくんだ。『なぜポストアップで俺を止められるんだ?教えてほしい、何をすればいい?』ってね。俺は彼よりも年齢が上で、じきにキャリアが終わる。俺のプレーを習得して、リーグを支配できる誰かを見たかったんだ。その1人が彼だった」
ペイトンは晩年の2003-04シーズン、レイカーズ入りしてコビーと共闘することになったが、当時のコビーはプライベートで問題を抱え、シャックとの関係も冷え切っていた。苦しむコビーを支えることができたのは、キャリアの中でも忘れられない出来事だったという。
「コビーがトラブルを抱えていた時、1年間メンターになれたのは嬉しかった。彼のメンターであるのは俺にとっても楽しい時間だったよ。俺は彼の“兄貴”になったんだ。あらゆることを教えたよ。LAでは、練習後にコートに残ってポストアップ、フェイダウェイ……彼はすべてを吸収して自分のものにした。それから俺たちはディフェンスのドリルにも励んだ。俺が投げたテニスボールを片手でキャッチするんだ。彼は守備に磨きをかけて、毎晩のようにタフな相手を守っていた」
2004-05シーズンにレイカーズでプレーしたカロン・バトラーも自身のツイッターで、コビーが名センターとして名を馳せたアキーム・オラジュワンから“ドリームシェイク”の特訓を受けている様子をアップしている。
飽くなき探求心と成長への渇望――。それが“マンバメンタリティ”と言われたコビーのスタイルの根底を担っていたのは間違いない。
構成●ダンクシュート編集部
【PHOTO】「Mr.レイカーズ」&「Mr.NBA」史上最高のスーパースター、コビー・ブライアント特集!
ペイトンは晩年の2003-04シーズン、レイカーズ入りしてコビーと共闘することになったが、当時のコビーはプライベートで問題を抱え、シャックとの関係も冷え切っていた。苦しむコビーを支えることができたのは、キャリアの中でも忘れられない出来事だったという。
「コビーがトラブルを抱えていた時、1年間メンターになれたのは嬉しかった。彼のメンターであるのは俺にとっても楽しい時間だったよ。俺は彼の“兄貴”になったんだ。あらゆることを教えたよ。LAでは、練習後にコートに残ってポストアップ、フェイダウェイ……彼はすべてを吸収して自分のものにした。それから俺たちはディフェンスのドリルにも励んだ。俺が投げたテニスボールを片手でキャッチするんだ。彼は守備に磨きをかけて、毎晩のようにタフな相手を守っていた」
2004-05シーズンにレイカーズでプレーしたカロン・バトラーも自身のツイッターで、コビーが名センターとして名を馳せたアキーム・オラジュワンから“ドリームシェイク”の特訓を受けている様子をアップしている。
飽くなき探求心と成長への渇望――。それが“マンバメンタリティ”と言われたコビーのスタイルの根底を担っていたのは間違いない。
構成●ダンクシュート編集部
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