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NBA

「マイケルは私をテストしていた…」スティーブ・カーが明かす、ジョーダンとの絆を深めた25年前の“殴り合い事件”

ダンクシュート編集部

2020.04.25

ブルズの成功は絶対的な存在のジョーダンはもちろん、カーら優秀なロールプレーヤーの活躍なくしてあり得なかった。(C)Getty Images

ブルズの成功は絶対的な存在のジョーダンはもちろん、カーら優秀なロールプレーヤーの活躍なくしてあり得なかった。(C)Getty Images

「自分が何を考えていたのか分からない。相手はマイケル・ジョーダン、史上最高の選手だったからね。でも、私もかなり負けず嫌いだったからケンカ腰だった。マイケルが言ったことに対して反論した。彼はそれを快く思わなかったんだ。マイケルが私の胸あたりを腕で押してきたから、私も突き返した。次の瞬間にはチームメイトが私たちを引き離しに入っていたよ。私はジュラシック・パークで恐竜ヴェロキラプトルに襲われた子どものようだった(笑)。大混乱さ。私たちはお互いに叫んでいた。(顔にアザがあって)どうやら私は殴られたけど、当たったことすら覚えていない。もし本当の殴り合いになったら、彼は私を殺せただろうね」

 事件の瞬間、フィル・ジャクソンHCは自分のオフィスで電話会議をしていて不在だった。事態を把握した指揮官はカーと話すようにジョーダンを諭し、ジョーダンはその1時間後に電話で謝罪。翌日の練習で再び話し合いの場を持ち、お互いが歩み寄ることになった。

「ジョーダンはそれからみんなに思いやりの心を持つようになった。試合やシーズンに対して違うアプローチを試みるようになった。彼はみんなそれぞれ違い、誰もが彼ほどの才能を持ち合わせていないということを理解しないといけなかった」

 そして今回、約25年の月日を経て、カーが『TNT』で改めて当時を振り返っている。

「間違いなく私たちの関係を後押ししてくれた。妙な響きだけどね。真似をするのはおすすめしないよ(笑)」
 
 今でこそ過激に聞こえるジョーダンとカーの殴り合い事件だが、カーによれば当時はリーグ全体で見てもそれが“日常茶飯事”なほど、日々激しい練習が行なわれていたという。

「当時は激しい練習が当たり前だった。今は練習日も減って休みやリカバリーの日がある分、そこまで競争は多くない。レブロン(ジェームズ)は17シーズン目、ジョーダンは12~13年(2度目の復帰をしたワシントン・ウィザーズ時代を除いて13年)しかプレーしていないと思う。私が言いたいのは、練習がとにかく激しかったということさ。その大部分をブルズとマイケルが占め、それが私たちのプレーの基準になった。練習での衝突は、1年間に3回はあっただろうね。それはあの時のブルズだけじゃなくて、1980年代後半から1990年代前半のチームすべてがそうだった。争い事はたくさんあって、時に手に負えなくなることもあったけど、それは長い目で見たら大したことじゃなかった」

 そしてカーは、この男同士の衝突が絆を深める大きなターニングポイントになったと見解を述べる。

「明らかにマイケルは私をテストしていた。そして、私はそれに答えた。彼のテストに合格できたと感じた。それから、彼はより私を信頼してくれるようになった」

 1996-97シーズンのNBAファイナル第6戦、同点で迎えた試合残り3秒の場面でユタ・ジャズにダブルチームを仕掛けられたジョーダンは、フリーになったカーにパスを出し、カーが値千金の勝ち越しシュートを沈め、ブルズは5度目の優勝を果たした。ジョーダンとの殴り合いがなかったら、この伝説のシュートは生まれていなかっただろう。

構成●ダンクシュート編集部

【PHOTO】引退後もその影響力は絶大!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの”神様”マイケル・ジョーダン特集
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