専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

リトアニアが生んだ伝説のビッグマン、アルビダス・サボニスは今…。「母国の顔」、「父」として奮闘する日々

小川由紀子

2020.04.27

ソ連時代の五輪金メダルをはじめ、母国リトアニアの代表として国際舞台で数々のタイトルを獲得。コート外でも祖国の競技発展に尽力した。(C)Getty Images

ソ連時代の五輪金メダルをはじめ、母国リトアニアの代表として国際舞台で数々のタイトルを獲得。コート外でも祖国の競技発展に尽力した。(C)Getty Images

 在籍した7年間の成績は、平均12.0点、7.3リバウンド、2.1アシスト。センターながら、ガード並のパス捌きやシュート力を高く評価されたサボニスだが、9歳でバスケットを始めた当時は周りの選手よりも小柄で、最初はポイントガードだった。それがある夏、一気に15cmも身長が伸び、それからも身長が伸びるにしたがって、フォワード、センターとポジションが変わっていった。その過程が、NBAでも屈指の万能ビッグマンに育て上げたのだろうと本人も語っている。まるで『スラムダンク』に登場する山王工業高校のセンター、河田雅史のようだ。

 NBAに別れを告げたあとは、故郷のファンに約束した通りジャルギリスに戻って1シーズンプレーし、国内リーグ優勝に貢献した。ちなみにNBAに行く前には、欧州きっての強豪レアル・マドリーでも国内リーグと旧ユーロリーグで優勝。1995年にはファイナル4のMVPにも選出されている。

 代表でのキャリアも目覚ましく、ソビエト連邦時代に参戦した1988年のソウル五輪で金メダル、リトアニア代表としても92年のバルセロナ大会と96年のアトランタ大会で銅メダルを獲得。世界選手権(現ワールドカップ)やユーロバスケットでも、ソ連時代とリトアニア時代合わせて計6つのメダルを手にした。そして2005年、その輝かしい現役生活の幕を閉じ、2011年にバスケットボール殿堂入りを果たした。
 
 現役時代から祖国のバスケットボール界発展に意欲的だったサボニスは、1994年にかつての本拠地であるカウナスに『サボニス・バスケットボールセンター』を設立。7~18歳までの選手計800人を育成する大所帯で、プロクラブのジャルギリスとも提携しており、優秀な選手は入団できる道も開かれている(現在はジャルギリスのセカンドチームという形になっている)。

 また、同時期に立ち上げた年に1度の『サボニスカップ』では、自クラブのチームを筆頭に、ロシアやラトビアなどから強豪チームを集めたトーナメントを行なっている。この大会には若き日のアンドレイ・キリレンコ(元ユタ・ジャズほか)やアレクシー・シェベド(BCヒムキ)も参戦し、世界へと羽ばたいていった。さらに2011年10月からはリトアニアのバスケットボール協会の会長も務め、文字通り母国バスケ界の長として尽力している。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号