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NBA

バスケ界だけでなく政界にも進出、トルコの英雄ターコル―が歩む特異なセカンドキャリア

小川由紀子

2020.04.20

マジック時代がターコルーのハイライト。07-08シーズンにはMIP賞も受賞した。(C)Getty Images

マジック時代がターコルーのハイライト。07-08シーズンにはMIP賞も受賞した。(C)Getty Images

 世界一の競技人口を誇るバスケットボール。その最高峰リーグであるNBAには世界中から優れたプレーヤーが集結し、特に2000年代以降は外国籍選手の数も飛躍的に増加した。では、NBAで活躍した欧州プレーヤーたちはその後、どのようなキャリアをたどっているのか。第一線を退いた彼らの今をシリーズで紹介しよう。

 2000年のドラフトで、サクラメント・キングスから1巡目16位で指名され、トルコ人初のNBA選手となった“ヒドゥ”こと、ヒディエット・ターコルー。

 途中出場で決定的な仕事をする強力なベンチメンバー、という敬意を込めて“ベンチモブ”と呼ばれた彼は、2015年に36歳で引退するまで、6球団(キングス、サンアントニオ・スパーズ、オーランド・マジック、トロント・ラプターズ、フェニックス・サンズ、ロサンゼルス・クリッパーズ)で計14年という、ヨーロッパ人選手としては非常に息の長いNBAキャリアを送った。

 ターコルーのキャリアのハイライトは、2004-05シーズンから、途中1シーズンを挟んで通算8シーズン在籍したマジック時代だ。とりわけ07-08シーズンは、平均19.5点、 5.7リバウンド、 5.0アシストというキャリアハイの数字を記録し、その年の最も成長した選手に贈られるMIP賞を受賞した。

 翌シーズンは、ファイナル進出にも貢献。ロサンゼルス・レイカーズと戦ったシリーズで、ターコルーはチーム最多の合計90得点(平均18点)をマークするなど、持ち前の勝負強さを発揮した。

 引退後の2015年12月には、マジックの本拠地アムウェイ・センターで功績を称えるセレモニーも催されている。

 そんなターコルーの自国トルコでの人気ぶりは凄まじかった。

 今でこそ、ユーロリーグにはトルコ航空が冠スポンサーにつき、4クラブを送り出すシーズンもあるほど、欧州のパワーハウスとしての地位を確立しているトルコだが、10数年前までは欧州のバスケ勢力図を支配するような存在ではなかった。
 
 そんな中、ターコルーがNBA選手となり、彼が出場した2001年の自国開催のユーロバスケットで銀メダルを獲得すると、国内でのバスケットボール熱は次第に高まっていった。

 そして2010年、再び自国で開催された世界選手権(現ワールドカップ)で準優勝。準決勝で優勝候補のセルビアを1点差で破ると、バスケットボール大国アメリカとの決勝戦という夢のシナリオに、トルコ国旗で真っ赤に染まったイスタンブールのシナン・エルデンドームは、悲鳴のような声援に包まれた。
 

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