ハミルトンとコビーは1978年生まれ。同じペンシルバニア州出身で、コビーはローワー・メリオン高、ハミルトンはコーツビル・エリア高の一員としてレギュラーシーズンや地区プレーオフで激しいバトルを繰り広げた。高校時代の対戦は3回すべてが接戦の末にコビーの勝利。1996年のマクドナルド・オールアメリカンではチームメイトとしてもプレーしており、ハミルトンはコビーの実力は誰よりもよく知っていた。コビーを初めて見た時の衝撃は鮮明に覚えているという。
「コビーの存在は、俺にとってのウェイクアップ・コール(ショックを与えたり、状況を変えないといけないと認識させる経験)だった。たった人口1万人の町出身だから、俺は自分がベストな選手だと思っていた。ある日、高校のコーチが『お前は本当に上手いけど、今後同じくらい才能のあるヤツが現われるだろう』と言った。それは正しかったよ。まだソーシャルメディア全盛期前だったから、どんな才能ある選手たちがいるのか分からなかった。試合前に反対側のコートで彼を見たのを覚えているよ。360ダンクやウィンドミルを披露して、『おい、マジかよ。アイツ、俺より高く飛んでるじゃないか』ってね。彼は試合に勝って、俺よりも得点を奪った。高校時代に得点で負けるのはそれが初めてだった」
2004年のファイナルでレイカーズを破っての優勝について、「俺たちのモットーは“マン・アップ”だった。マン・アップが意味するのは、自分は自分のマークマンを守る、ダブルチームを期待しないということ。特にシャックとコビーが素晴らしい理由は、彼らが攻撃で襲い掛かるだけでなく、リック・フォックスやデレック・フィッシャーも仕留めにくるからだ。俺たちはみんな真っ向から守った。もしシャックやコビーが30得点をあげても、他の選手にスコアさせなければそれでいい」と振り返ったハミルトン。それでも、“対コビー”に関しては脅威を感じていたと明かす。
「コビーは俺がNBAキャリア14年間で競い合ってきた中で、唯一恐れていた選手かもしれない。コビーは試合開始1分で相手を打ち負かすような選手だったし、それを試合終了のブザーが鳴るまでやるんだ。第1クォーターで彼に10~12得点許してはいけない。勢いに乗れば、50得点をあげる男だからね。おそらく、バスケットボールにおいて、最も完璧な選手の1人なんだ」
高校時代からしのぎを削り合ってきたハミルトンは、今年1月にヘリコプター墜落事故で亡くなったコビーは、もっと上位にランクされるべきだと主張していた。
構成●ダンクシュート編集部
【PHOTO】「Mr.レイカーズ」&「Mr.NBA」史上最高のスーパースター、コビー・ブライアント特集!
「コビーの存在は、俺にとってのウェイクアップ・コール(ショックを与えたり、状況を変えないといけないと認識させる経験)だった。たった人口1万人の町出身だから、俺は自分がベストな選手だと思っていた。ある日、高校のコーチが『お前は本当に上手いけど、今後同じくらい才能のあるヤツが現われるだろう』と言った。それは正しかったよ。まだソーシャルメディア全盛期前だったから、どんな才能ある選手たちがいるのか分からなかった。試合前に反対側のコートで彼を見たのを覚えているよ。360ダンクやウィンドミルを披露して、『おい、マジかよ。アイツ、俺より高く飛んでるじゃないか』ってね。彼は試合に勝って、俺よりも得点を奪った。高校時代に得点で負けるのはそれが初めてだった」
2004年のファイナルでレイカーズを破っての優勝について、「俺たちのモットーは“マン・アップ”だった。マン・アップが意味するのは、自分は自分のマークマンを守る、ダブルチームを期待しないということ。特にシャックとコビーが素晴らしい理由は、彼らが攻撃で襲い掛かるだけでなく、リック・フォックスやデレック・フィッシャーも仕留めにくるからだ。俺たちはみんな真っ向から守った。もしシャックやコビーが30得点をあげても、他の選手にスコアさせなければそれでいい」と振り返ったハミルトン。それでも、“対コビー”に関しては脅威を感じていたと明かす。
「コビーは俺がNBAキャリア14年間で競い合ってきた中で、唯一恐れていた選手かもしれない。コビーは試合開始1分で相手を打ち負かすような選手だったし、それを試合終了のブザーが鳴るまでやるんだ。第1クォーターで彼に10~12得点許してはいけない。勢いに乗れば、50得点をあげる男だからね。おそらく、バスケットボールにおいて、最も完璧な選手の1人なんだ」
高校時代からしのぎを削り合ってきたハミルトンは、今年1月にヘリコプター墜落事故で亡くなったコビーは、もっと上位にランクされるべきだと主張していた。
構成●ダンクシュート編集部
【PHOTO】「Mr.レイカーズ」&「Mr.NBA」史上最高のスーパースター、コビー・ブライアント特集!