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NBA

【NBAデュオ列伝】「史上最高」にもな成り得たケンプ&ペイトン。歯車はどこで狂ったのか|前編

出野哲也

2020.05.19

"グローブ"と称されたペイトンのディフェンスは、対戦相手にとって脅威でしかなかった。(C)Getty Images

 だが、ケンプの運動能力の高さは、そうしたもろもろの欠点を補ってあまりあるほどだった。とりわけ身長の45%に相当するという驚異的な跳躍力を生かした、野性味に溢れたスラムダンクは“ジャングルダンク”と呼ばれ、彼のトレードマークとなった。「俺は本能的、反射的にダンクを打てる。目にも止まらない速さでね。わざわざ練習することもない。一流の歌手がいつステージに上がっても歌えるように、俺のダンクも自然に身についているのさ」。

 まずダンクで名を売ったケンプだが、選手としても順調に成長していった。リバウンドやブロックショットなどのディフェンス面も向上し、4年目の93年にはオールスターに初出場。94年には世界選手権“ドリームチームⅡ”のメンバーにも選ばれ、“レインマン”のニックネーム通り、リーグを支配(reign)するパワーフォワードとしてのステータスを築いていった。
 
 ペイトンがNBA入りするまでの道のりは、ケンプと対照的だった。オレゴン州立大ではオールアメリカンに選出され、アメリカ最大の総合スポーツ誌「スポーツイラストレイテッド」の表紙を飾ったこともあるエリートだった。90年のドラフトでは全体2位の高い評価を得て、大いに期待されてソニックスのジャージーに袖を通した。

 しかし、ペイトンが最初に注目を集めたのは、プレーではなくリーグ最悪のトラッシュトーカーとしてだった。

「子供の頃からそうやってプレーしていたんだ。トラッシュトークは、俺の闘志を掻き立てる手段なのさ」

 そう自己弁護するペイトンだったが、彼の口の悪さは限定を超えていた。ケンプですら「ゲイリーの喋りは、俺にとても真似できないよ。彼に比べりゃ、ジョン・マッケンロー(態度の悪さで有名だったプロテニスの名選手)さえ天使に思えるほどさ」と呆れたくらいで、当然メディアやファンからの評判は最悪に近いものだった。しかもルーキーシーズンは首脳陣の方針と彼のプレースタイルが噛み合わず、期待外れの成績で「口だけしか取り柄のないヤツ」、「生意気で鼻持ちならない男」と酷評された。
 

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