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NBA

【NBAデュオ列伝】ケンプ&ペイトンに亀裂が入ったドリームチーム事件…それでも二人の仲は|後編

出野哲也

2020.05.20

驚異的な身体能力を誇ったケンプは、豪快なダンクで観衆を魅了した。(C)Getty Images

驚異的な身体能力を誇ったケンプは、豪快なダンクで観衆を魅了した。(C)Getty Images

 96ー97シーズン前には、さらに彼の気を損ねる事態が続発した。FA権を取得したペイトンが、7年間8500万ドルで再契約したのである。ケンプが93年に結んだ7年2700万ドルに比べると3倍以上の金額だ。それでもペイトンの実力・実績を考えれば、納得できない数字ではなかった。問題はソニックスがセンターのビル・マッキルベインと7年3500万ドルで契約したことだった。

 ケンプは激怒した。ブロックショット以外に取り柄のない二流選手のマッキルベインが、自分よりもはるかに高い年俸を手にすることに我慢がならなかった。トレーニングキャンプには3週間経っても姿を見せず、シーズンに入ってからも何度も練習に遅刻した。移動の飛行機にも乗り遅れては罰金を科せられ、一人でチームの和を乱し続けた。

 成績こそ例年並みのものを残したが、アルコール中毒にかかっているとの噂も流れ、周囲がケンプを見る目は急速に冷たくなっていった。こうした状況は、ペイトンとの関係にも影響を及ぼした。ケンプはペイトンの結婚式にも「ソニックスの首脳陣と顔を合わせたくないから、俺は行かない」と言って出席しなかった。
 
 もはやケンプとチームの関係は修復不可能だった。ソニックスはトレードを公然と要求するケンプを、97年9月ミルウォーキー・バックスを巻き込んだ三角トレードでクリーブランド・キャバリアーズに放出した。“未来のストックトン&マローン”は、花に譬えるなら満開の時期を迎えようとしていた矢先に散ってしまったのである。

 救いだったのは、2人の友情が決定的には壊れなかったことだった。「ショーンが結婚式に来てくれなかったことにはがっかりした。でも、それで彼のことを嫌いにはならなかった。彼が置かれていた事情はよくわかっていたし、俺がそれを理解していることは、ショーンも知っていたはずだ」。

 トレード後、ペイトンは複雑な胸の内を明かした。

「俺たちは7年間も一緒にプレーしたんだ。背番号40がそこにいないかと思うと…俺のロブ・パスを受けて彼がダンクを決めることはもうないのかと思うと寂しいよ」

 ペイトンのこの言葉は、そっくりそのままファンの気持ちを代弁していた。
 

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