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NBA

【NBAデュオ列伝】ケンプ&ペイトンに亀裂が入ったドリームチーム事件…それでも二人の仲は|後編

出野哲也

2020.05.20

ペイトンのような「精神力」や「努力」できる才能があれば、ケンプ(写真)は真の名声を手に入れたかもしれない。右は息子のハモン。(C)Getty Images

ペイトンのような「精神力」や「努力」できる才能があれば、ケンプ(写真)は真の名声を手に入れたかもしれない。右は息子のハモン。(C)Getty Images

 キャバリアーズで待望の高額契約を結んだケンプだったが、やがて生来の怠惰さが、彼の精神を蝕み始める。象徴的だったのは、98年のロックアウト終了後にベスト体重を20kgもオーバーしてトレーニングキャンプに現れたことだった。ファット(高額)な契約を手にして、文字通り太って(ファット)しまったのだ。「腹の周りにタイヤでもくっつけてるのか」と嘲笑される始末で、しばらくの間は天賦の才能で切り抜けていたが、凋落はあっという間にやってきた。2000年にはウィットシットがGMを務めるポートランド・トレイルブレイザーズに移籍したが、プレーにまったく精彩を欠き、出場時間は大幅に減少した。

 私生活も乱れていた。何人もの私生児を抱えていることを暴露され、コカインにも溺れてたびたび出場停止処分を下された。かつての栄光を取り戻せぬまま、02-03シーズンにオーランド・マジックでプレーしたのを最後に、ケンプはひっそりと表舞台から消えた。その後何度かカムバックを試みたものの、成功することはなかった。
 
 一方のペイトンは、ケンプが去った後もトッププレーヤーの地位を守り続けた。ソニックスからバックス、レイカーズ、ボストン・セルティックス、マイアミ・ヒートと渡り歩いた18年間で、欠場はわずか27試合。無事これ名馬を地で行く活躍で、2000年には2度目のオリンピック出場も果たした。ずっと目標だったチャンピオンリングも、ヒート時代の06年に獲得。通算8966アシストは史上10位の大記録であり、13年に殿堂入りを果たした。2人の間には、あまりにも大きな差が開いてしまった。

「30代半ばで、NBAのトップレベルでやれる奴なんてそうはいない。でもゲイリーなら当然さ。あれほど精神的にも強くて、努力を怠らない選手はいない」

 選手生活の終盤時代のペイトンについて、ケンプは敬意を込めて語っていた。

 精神力と努力――まさにそれこそ、ケンプとペイトンのバスケットボール人生を左右した要素だった。アルコールや麻薬の誘惑に負けない精神力。他人の懐を羨むことなく、最高の環境とコンディションを維持する努力。ペイトンにはそれができて、ケンプにはできなかった。

 ケンプがそのことにもっと早く気づいていたなら、ソニックスのユニフォームを着て優勝トロフィーを手にする2人の姿が見られたかもしれない。そして、彼らは本当に史上最高のデュオにもなり得たかもしれない。今でも脳裏に焼き付いている、彼らの迫力溢れるプレーを思い返すたび、そんな想いにとらわれる。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2004年12月号掲載原稿に加筆・修正。
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