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NBA

「NBAで活躍することがすべてではない」欧州最高のシューター、“ラ・ボンバ”が1年でNBAを去った理由

小川由紀子

2020.06.14

ドラフトから5年後の2007年にNBAのグリズリーズへ。球宴のルーキーチャレンジに出場するなど及第点の成績を残すも、翌年にスペインへ帰還した。(C)Getty Images

ドラフトから5年後の2007年にNBAのグリズリーズへ。球宴のルーキーチャレンジに出場するなど及第点の成績を残すも、翌年にスペインへ帰還した。(C)Getty Images

 それでもその後、カルデロンやホルヘ・ガルバホサら同世代のスペイン代表の仲間たちも次々とアメリカに旅立つと、ナバーロの気持ちも次第にNBAに傾き、バルセロナとのバイアウト交渉を始めた。

 2007年夏、NBA行きが決まった後のユーロバスケットの期間中、ナバーロに直接尋ねてみた。02年のドラフト直後にNBAに行かなかったのは、バルセロナとの契約がネックだったのか、それとも気持ちの問題だったのか。「それぞれの理由が少しずつ全部、という感じだった。契約のことも、行く気がなかったことも」とナバーロは答えた。

「バルセロナとは良い関係だったから、契約が足かせだったというわけでは決してない。また自分としても、選手として成熟しているとはその時は思えなかった。それに、もしNBAに行くとしたら、ドラフトでの順位がもっと上だったら良かったとも思っていた。ようやく行くことに決めたのは、自分の中で確信が持てるようになったからだ」

 ドラフトから実際に海を渡るまでの5年間、ガソルは「早く来い!来なきゃダメだ!」としきりにナバーロのお尻を叩いていたそうだが、結果的に07年にウィザーズが交渉権をグリズリーズに譲渡したことで、ナバーロはガソルのチームメイトとしてNBAに見参することになった。
 
 27歳の“ルーキー”は同じシューターであるマイク・ミラーの2番手という位置付けながら、レギュラーシーズン全82試合に出場。開幕直後の11月には4試合でチームハイの得点をあげるなど、期待通りのシュート力を発揮し、30試合で先発も任された。ニューオリンズで行なわれたオールスターではルーキーチャレンジにも出場。最終的に平均25.8分の出場でチーム4位の10.9点、3ポイント成功数(156本)、フリースロー成功率(84.9%)ではチームハイを記録し、オールルーキー2ndチームにも選出されている。グリズリーズは22勝60敗でカンファレンス13位と勝利とは縁遠かったが、ナバーロのパフォーマンスは今後を期待させるに十分だった。

 しかし彼は1年の契約をまっとうすると、翌シーズンに古巣バルセロナへ帰還。その一番の理由は、「バルセロナで常勝に慣れていた自分にとって、敗戦続きは精神的に厳しかった」というものだった。
 
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NBAでの経験を糧に、古巣バルセロナでさらなる輝きを放つ

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