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NBA

【NBAデュオ列伝】決別を選び、波瀾万丈のキャリアを歩んだ魅惑のコンビ。T-MACとの再会はカーターの殿堂入り式典で|後編

出野哲也

2020.07.24

「あんなダンクが出来ると思わなかった。自分でももう一度見てみたいほどさ」とご満悦だったカーターだが、シーズンが始まると意外な批判にさらされた。ボールを独占しすぎるとか、ディフェンスに熱心に取り組んでいないなどといったもので、人気と評価が一気に上がりすぎた反動が出てしまったのだ。

 それでも自己最高の平均27.6点をマークするなど、成績自体は素晴らしいものだった。プレーオフでもカンファレンス準決勝までチームを導いたが、ここで新たな火種を自らまいてしまう。3勝3敗で迎えた最終第7戦当日の朝、大学の卒業式に出席するためにチームを離れたのだ。プロ入りする際、必ず卒業することを両親に誓っていた彼にとって卒業式は大切な行事だった。だがトンボ返りで臨んだ試合で、最後のシュートを外して敗退が決まってしまったため、非難の声はさらに大きくなった。

 この後、カーターは次第に輝きを失っていく。プレー自体も、積極的にダンクを狙うよりも、アウトサイドからのジャンプシュートに頼る場面が多くなった。3年連続でオールスターの最多得票を獲得するなどファンからの支持は依然高かったが、ケガに悩まされることも多くなり、ラプターズ低迷の責任を負わされる格好になった。“NBAで最も過大評価されている選手”とまで呼ばれ、いつしかT-MACとの立場は逆転していた。
 
■才能を生かしきれない受難のNBAキャリア

 2003年に平均32.1点で初の得点王になったT-MACは、個人としてはリーグでもトップクラスの選手として認められていた。だが、なかなかチームの勝利に結びつかないのはカーターと同様だった。その年のプレーオフ1回戦では、第1シードのデトロイト・ピストンズを3勝1敗とリードし、史上3回目の第8シードによるアップセットを目前にしながら、自らが絶不調に陥り3連敗。勝負所での弱さ、精神的な未熟さが指摘された。

 翌03-04シーズン、マジックは開幕直後に19連敗の泥沼にはまりこむ。T-MACはチームを引っ張ろうとするどころか、やる気を失い「負けるのはもうたくさんだ。トロントに戻ってヴィンスと一緒にやってもいい」などと言い出す始末。チームからもオーランドのファンからも愛想を尽かされた。
 

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