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NBA

【NBAデュオ列伝】決別を選び、波瀾万丈のキャリアを歩んだ魅惑のコンビ。T-MACとの再会はカーターの殿堂入り式典で|後編

出野哲也

2020.07.24

オールスターにはカーター(左)が8回、T-MAC(右)が7回選出。ともに優勝こそできなかったが、素晴らしいキャリアを送った。(C)Getty Images

オールスターにはカーター(左)が8回、T-MAC(右)が7回選出。ともに優勝こそできなかったが、素晴らしいキャリアを送った。(C)Getty Images

 2年連続の得点王を置き土産に、シーズン終了後ヒューストン・ロケッツへ移っていったT-MACは、移籍先でも毎年20点以上を稼ぎ、「35秒で13点」という伝説のパフォーマンスもやってのけた。だがプレーオフでは09年のカンファレンス準決勝が最高で、そのシーズンは自身がケガで早期離脱に終わるなど、大舞台で勝てない選手との汚名は払拭できなかった。

 腰を痛めたこともあって30歳を過ぎた頃から急速に衰え、NBAでプレーしたのは12-13シーズンが最後。中国にも渡ったが、かつての輝きを取り戻すことはなかった。引退直後には「今思えばトロントに残っているべきだった。ヴィンスと一緒なら優勝も狙えたかもしれなかった」と後悔するコメントも残した。

 一旦はラプターズとの契約を延長したカーターも、T-MACと同じような境遇でチームを去ることになる。04-05シーズン開幕前に新聞紙上でトレードを希望する発言をしたことで、チームやファンとの関係は完全に冷え切った。気の抜けたプレーを続けるカーターを、ラプターズは厄介払いするかのような形でニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツへとトレードした。
 
 ネッツ移籍後のカーターはモチベーションを取り戻し、以前のような冴えたプレーを見せてはいたが、ラプターズ時代のようなスーパースターではなくなっていった。その代わり重要なベンチメンバーとしての役割を受け入れ、とても息の長い選手になった。今季はNBA史上初めて、1990・2000・2010・2020の4年代でプレーした選手となっている。

 プロ入り以来、乱高下してきた彼らの評価は、最終的には本来の実力相応のものに落ち着いた。

 同じことがカーターとT-MACとの関係についても言える。「俺とヴィンスはうまくやっているよ。みんな大げさすぎるんだ。俺たちは人が言うほど仲が良かったわけでも、険悪になったわけでもないのさ」とT-MACが言っていたように、経験と年齢を重ねたことで、お互いを過剰に意識することもなくなった。T-MACが現役を退いてからは特にそうで、テレビ番組などに一緒に出演する機会も増えている。

 6月25日、43歳のカーターは22年間のNBA生活に終止符を打つことを発表した。次にT-MACと共演する場は、弟分が一足早く迎えられているバスケットボール殿堂入りのセレモニーになるだろう。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2006年9月号掲載原稿に加筆・修正。

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