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NBA

その守備力はバード曰く「最高のディフェンダー」。選手、指導者、そして人間として絶賛されたクーパーの物語【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.09.08

■舌ガンを乗り越えて、WNBAで采配を振るう

 レイカーズでは5度の優勝に中心選手として貢献し、1989-90シーズンも80試合に出場したクーパーだが、同年オフに球団に対して契約解除を申し出る。イタリアリーグのメッサジェロ・ローマから、3年500万ドルという好条件で誘われたのだ。

「ロサンゼルスのファンと別れるのは辛いが、これは新しい人生の始まりなんだ」

 そう言い残して旅立ったイタリアでは、1990年のオールスターゲームでMVPに輝くも、わずか1年後にレイカーズへ復帰。フロントの仕事やアシスタントコーチを歴任し、短期間ながらHCとなったマジックの下でもコーチを務めた。
 
 その後、1998年にWNBAロサンゼルス・スパークスの指揮官に抜擢され、2000年に最優秀コーチ賞を受賞。2001、02年にはチームを2連覇に導いた。NBAでは2004-05シーズンにデンバー・ナゲッツのHC代行をしたのが唯一の指揮経験だが、WNBA以外でもDリーグ(現Gリーグ)や南カリフォルニア大女子バスケットボール部などを率いるなど、その指導力には定評がある。

 2014年にはアトランタ・ドリームのHCとしてWNBAに復帰。ガンが判明したのはその直後だったが、無事に采配を振ることができ、2017年まで務めたのちに退任した。

「私はバスケットボールのサウンドが好きなんだ。コートにいなくても、観客の歓声を聞いただけで何が起こっているのかわかる」と語るクーパー。その思いは、運動することを許されず、楽しく遊ぶ子どもたちの声を聞いて過ごした幼い頃の寂しさと結び付いているのかもしれない。誰からも愛されるこの好漢が、二度と病魔に侵されないことを願わずにはいられない。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年10月号掲載原稿に加筆・修正。

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