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NBA

NBA史に残るジョーダンの名場面“ザ・ショット”の“裏の主役”となったクレイグ・イーロー【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.07.10

ドラフトでは3巡目48位指名と期待値は高くなかったイーローだが、10日間契約で加入したキャブズでディフェンダーとして頭角を現わした。(C)Getty Images

ドラフトでは3巡目48位指名と期待値は高くなかったイーローだが、10日間契約で加入したキャブズでディフェンダーとして頭角を現わした。(C)Getty Images

 2016年、結成46年目にしてついに初優勝を果たしたクリーブランド・キャバリアーズ。一時はその才能を「サウスビーチへ持っていった」レブロン・ジェームズが、マイアミから帰還して2年目のことだった。

 だが、レブロン入団以前にも、キャブズファンが優勝を意識していた時代があった。1980年代末、ロン・ハーパーやブラッド・ドアティ、マーク・プライスらの若手選手を中心に、急速にチーム力を伸ばしていた頃である。

 とりわけ1988-89シーズンには、リーグ2位の57勝を記録するほどの強さを見せつけたが、シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンが放った1本のシュートによって、リーグ制覇の夢は潰えてしまった。“ザ・ショット”として後世に語り継がれるこの名場面では、ジョーダンのほかにもう1人、クレイグ・イーローもまた、NBAの歴史にその名を刻んだのである。
 
■ロケッツを解雇されるも、10日間契約のキャブズで…

 イーローは1961年8月11日、テキサス州ルボックで生を受ける。子どもの頃は野球やフットボールにも親しんでいたが、やがてバスケットボールで頭角を現わし始めた。

 高校の最終学年では州のオールスターチームに選ばれ、背番号30はのちに同校初の永久欠番となる。オデッサ大で2年プレーしたのち、ワシントン州大に転校。4年生の時にはNCAAトーナメントに出場すると、1回戦では18得点をあげる活躍を披露し、ウェバー州大を下す原動力となった。

 これは同大にとって、トーナメントでの41年ぶりの勝利に。しかし続く2回戦では、当時の大学バスケットボール界最高の選手、ラルフ・サンプソンを擁するバージニア大に敗れた。

 その後、イーローは1983年のドラフトでヒューストン・ロケッツから3巡目48位で指名を受ける。

「名前が呼ばれる確信もなかったし、何巡目だろうが、どの球団だろうがかまわなかった。それが地元テキサスの球団に指名されたんだから、飛び上るほど嬉しかったよ」

 1位指名権を保持していたロケッツは、目玉中の目玉だったサンプソンも獲得。キャンプではサンプソンと3位指名のロドニー・マクレーが脚光を浴び、イーローに注目する者などほとんどいなかった。だが、そうした状況はまるで気にならなかったという。

「チームにいられるだけで満足だったんだ。いつまでNBAでプレーを続けられるかわからなかったし、いつクビになってもおかしくないと思っていたからね」
 

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