ドラフト2巡目指名選手がNBAで生き残るのは難しいが、エリック・スノウは非凡な統率力と堅守を武器に、13年間にわたりプレーを続けた。さらに様々な慈善活動に携わるなど、コート外でも彼は優れた人格者であった。
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MVPに新人王、シックスマン賞やMIPなど、NBAでは様々な賞が制定されているが、選手の間で大変な名誉とされるのが、慈善活動や人道的な行為に対して贈られるシチズンシップ賞(J.Walter Kennedy Citizenship Award)である。ケビン・ガーネットも、2006年にこの賞を受賞した際には「ほかのどんな賞よりも、この賞が一番嬉しい」とコメントしたほどだ。
05年の受賞者、エリック・スノウもその思いは同じだった。「多くの時間とエネルギーを他者のために注いだ人々と、私の名前が並ぶことを大変光栄に思います。この賞が皆の啓発につながれば、こんなに嬉しいことはありません」と受賞時に喜びを語っている。
2000年にはスポーツマンシップ賞にも選ばれ、ジョー・デュマース(元デトロイト・ピストンズ)に続き、この2つの賞をダブル受賞した2人目の選手となったスノウ。彼はコートの内外で、真のリーダーシップとはいかなるものかを体現していた。
■憧れの兄とは違う道を歩み、2巡目指名でNBA入り
スノウが少年の頃、彼が将来バスケットボールで名を成すと考えていた人はほとんどいなかった。兄のパーシーはオハイオ州でも指折りのフットボール選手で、のちにNFLのカンザスシティ・チーフスからドラフト1巡目指名を受けるほどの実力者であり、当然、弟のエリックも兄と同じ道を進むだろうと考えられていたからだ。
スノウにとってパーシーは憧れの存在であったが、一方で常に比較されることがプレッシャーにもなっていたという。そのため兄の通うフットボールの強豪校、マッキンリー・ハイスクールに入学したものの、彼は周囲の予想に反してバスケットボールを選択した。高校では3年連続で校内最優秀選手に選ばれ、兄と同じミシガン州大に進んでからも、大学史上3位の通算アシスト数を記録。ビッグ10カンファレンスの最優秀ディフェンス賞にも輝くなど、スノウは着実にバスケットボール選手としてその評価を高めていった。
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MVPに新人王、シックスマン賞やMIPなど、NBAでは様々な賞が制定されているが、選手の間で大変な名誉とされるのが、慈善活動や人道的な行為に対して贈られるシチズンシップ賞(J.Walter Kennedy Citizenship Award)である。ケビン・ガーネットも、2006年にこの賞を受賞した際には「ほかのどんな賞よりも、この賞が一番嬉しい」とコメントしたほどだ。
05年の受賞者、エリック・スノウもその思いは同じだった。「多くの時間とエネルギーを他者のために注いだ人々と、私の名前が並ぶことを大変光栄に思います。この賞が皆の啓発につながれば、こんなに嬉しいことはありません」と受賞時に喜びを語っている。
2000年にはスポーツマンシップ賞にも選ばれ、ジョー・デュマース(元デトロイト・ピストンズ)に続き、この2つの賞をダブル受賞した2人目の選手となったスノウ。彼はコートの内外で、真のリーダーシップとはいかなるものかを体現していた。
■憧れの兄とは違う道を歩み、2巡目指名でNBA入り
スノウが少年の頃、彼が将来バスケットボールで名を成すと考えていた人はほとんどいなかった。兄のパーシーはオハイオ州でも指折りのフットボール選手で、のちにNFLのカンザスシティ・チーフスからドラフト1巡目指名を受けるほどの実力者であり、当然、弟のエリックも兄と同じ道を進むだろうと考えられていたからだ。
スノウにとってパーシーは憧れの存在であったが、一方で常に比較されることがプレッシャーにもなっていたという。そのため兄の通うフットボールの強豪校、マッキンリー・ハイスクールに入学したものの、彼は周囲の予想に反してバスケットボールを選択した。高校では3年連続で校内最優秀選手に選ばれ、兄と同じミシガン州大に進んでからも、大学史上3位の通算アシスト数を記録。ビッグ10カンファレンスの最優秀ディフェンス賞にも輝くなど、スノウは着実にバスケットボール選手としてその評価を高めていった。