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NBA

野球で頭打ちとなり、NBAでも壁に直面。エインジが引退後に抜いた“三本目の刀”【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.09.28

 だが、同年オフに行なわれたサマーリーグに参加し、体調を整えると同時に試合勘も取り戻した彼は、迎えた1984-85シーズンは先発に復帰。自己ベストのフィールドゴール成功率52.9%をマークする。

 そして1986年のプレーオフでは平均15.6点に加え、出場18試合でチーム最多となる41スティールを奪うなどリーグ制覇に大きく貢献。チームメイトたちがシャンパンファイトを繰り広げるなか、宗教上の理由で酒を飲まないエインジは、オレンジジュースを手に喜びの輪に加わった。
 
■現役引退後は古巣のGMに就任。大型補強を実現させ頂点に導く

 生意気な態度や発言だけでなく、ダーティーなプレーも厭わなかったエインジは、他球団の選手やファンから大いに嫌われていた。それでも「ブーイングは大歓迎だ。敵地でシュートを決めて相手ファンを苛つかせるほど、気分のいいことはないからね」と、まるで意に介さず。1983年のプレーオフ、対アトランタ・ホークス戦でトゥリー・ロリンズと乱闘を演じた時も「点を入れられそうになったらどんな手を使っても止めるし、自分の妻が相手だって同じようにするさ」と涼しい顔をしていた。

 チーム内でも怒られ役で、何かにつけてコーチ陣やベテラン選手たちから叱責を受けた。それでもバードが「ダニーは弟のような存在。時には殴りたくなることもあるけど、憎めないヤツなんだ」と語るように、何を言われてもへこまず、根に持つこともないエインジは、ベテラン揃いのチームのマスコット的な存在だった。

 1987-88シーズンには148本の3ポイントを沈め、それまでのリーグ記録を50本以上も更新。オールスターにも出場を果たしたが、翌年にはヘッドコーチ(HC)のジミー・ロジャースとの間に確執が生じ、1989年2月にサクラメント・キングスへトレードされる。「ずっとここにいるつもりだったけど、ある程度は覚悟もしていた。セルティックスには悪い感情は一切持っていない」と冷静に受け止めたエインジは、新天地へと去っていった。
 
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