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NBA

8月に他界したクリフォード・ロビンソン。時代を先取りした陰の実力者のキャリアを辿る【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.09.11

ドラフトでは下位指名に甘んじたロビンソンだが、NBAで18年にわたってプレー。時代を先取りしたプレースタイルで息の長いキャリアを送った。(C)Getty Images

ドラフトでは下位指名に甘んじたロビンソンだが、NBAで18年にわたってプレー。時代を先取りしたプレースタイルで息の長いキャリアを送った。(C)Getty Images

 長きにわたって第一線で活躍しながら、正当な評価を得られない──。クリフォード・ロビンソンは、そうした“見過ごされた実力者”の1人だ。しかし、今では当たり前になったヘッドバンドを20年以上も前から着用し、現代ビッグマンの原型とも言えるプレースタイルを築き上げた彼は、地味ながらも時代を先取りした名プレーヤーであった。今年8月29日に53歳の若さで他界した名脇役に、改めてスポットライトを当てる。

   ◆   ◆   ◆

 どんな世界にも、短期間で強烈なインパクトを残す者と、長く活動している割には影の薄い者の二通りの人がいる。

 NBAで言えば、ヤオ・ミン(元ヒューストン・ロケッツ)やブランドン・ロイ(元ポートランド・トレイルブレイザーズほか)のように、早期に引退してもリーグの歴史に確かな足跡を残した選手がいる反面、何年も第一線で活躍しながら、実力に見合った評価や知名度を得られない選手もいる。
 
 クリフォード・ロビンソンは、そうした“見過ごされた実力者”の1人だ。キャリア通算1380試合出場は史上13位の記録で、さらに得点、3ポイント成功数、スティール、ブロックなどの部門でも60位以内。オールスター出場やシックスマン賞受賞経験があり、ファイナルにも2度出場している。にもかかわらず、当時を知るファンでさえ「あのヘッドバンドをしていたヤツだろ?」程度の認識にとどまるのは、まさに不当な扱いと言うしかない。

■2巡目36位指名の低評価をバネに人一倍努力を重ねて

 ニューヨーク州バッファロー出身のロビンソンは、父親というものをほとんど知らずに育った。実父は彼が4歳の時に家を出て、その6年後にこの世を去っていたし、母親の再婚相手とは良好な関係を築けなかったからだ。

 家庭が安息の場ではなかったため、自然と屋外でスポーツに興じる時間が長くなった。得意競技はフットボールで、花形であるQBとしてプレーしていたが、高校生になって急速に身長が伸びると、母親からバスケットボールへの転向を勧められる。その言葉に従うと、3年時には市大会で優勝。多くの大学から勧誘されたが、一番早くにオファーをくれたコネティカット大を進学先に選んだ。

 大学時代は88年にNIT選手権を制覇。4年時には平均20.0点を記録、また守備でもビッグイースト・カンファレンスのライバルだったデリック・コールマン(シラキュース大)やアロンゾ・モーニング(ジョージタウン大)を封じて評価を高めていった。
 
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