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NBA

1994年ファイナルに敗れて以降、徐々に衰退したユーイングとスタークス。そして訪れたあまりにも悲しい末路【NBAデュオ列伝・後編】

出野哲也

2020.10.07

■輝きを失いニューヨークを追われた、あまりにも悲しすぎる末路

 その後の2人は次第に下降線を辿っていく。スタークスはライリーの辞任後、ゴールデンステイト・ウォリアーズ時代に彼を解雇したドン・ネルソンがHCになると控えに降格。1996-97シーズンはシックスマン賞に輝いたが、1998年を最後にゴールデンステイト・ウォリアーズにトレードされ、ニューヨークを離れることになった。

 ユーイングも慢性的な膝の痛みに苦しんだ上、1998年は手首を脱臼して26試合にしか出場できず。影の薄い存在になっていった。

 ロックアウトで短縮された1998-99シーズン、ニックスは第8シードでプレーオフに滑り込むと、奇跡的な快進撃で5年ぶりにファイナルへ進出。だがその主役は、スタークスの代わりにウォリアーズから移籍してきたラトレル・スプリーウェルだった。

 ユーイングはアキレス腱を痛めて試合には出られず。ファイナルではサンアントニオ・スパーズが誇るツインタワー、デイビッド・ロビンソン&ティム・ダンカンがペイントエリアを支配するのをただ傍観するしかなかった。
 
 2000年、ユーイングがシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)へ移籍した日、ニューヨークのある新聞は“いい厄介払い”と報じた。15年にわたってチームを支え続けた功労者に対して、あまりにもひどい仕打ちである。ユーイングが去った後のニックスが惨憺たる状況に陥るまで、ニューヨークのファンは彼の真価を悟ることがなかった。

 ソニックスとオーランド・マジックで平凡な2年間を過ごしたのち、2002年にユーイングは現役を引退。彼と歩調を合わせたかのように、スタークスもこの年を最後にコートを去った。

 2003年2月28日、ガーデンでユーイングの背番号33を永久欠番にするセレモニーが開催。以前の厳しい仕打ちを埋め合わせるかのように、その夜集まった観客は声を枯らしてユーイングの名を叫んだ。もちろん、その場にはスタークスも出席。彼の顔が会場のモニターに映し出されると、観客は総立ちで拍手を送った。
 
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