欠番にこそなっていないものの、スコアラーとしてインパクトを残した22番はほかにもいる。フィラデルフィア・セブンティシクサーズのアンドリュー・トニーは現役期間こそ短かったが、セルティックス戦に滅法強く“ボストンの絞殺魔”の異名を取った。トニーと同世代のスター選手バーナード・キングも、プロ入り当時はニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツで22番を着用。ジョン・ドリューは1970年代後半にアトランタ・ホークスのエースを務めたが、麻薬に手を出し1985年にリーグから永久追放処分を受けている。現役のルディ・ゲイ(サンアントニオ・スパーズ)も、キングス時代を除いてどのチームでもこの番号だ。
リッキー・ピアースも得点力の高いガードで、ミルウォーキー・バックス時代の1990年にはベンチ出場中心ながら平均23.0点をあげ、シックスマン賞を受賞。またバックスでは2000年代前半にチームを牽引したマイケル・レッドのほか、2013-14シーズンにHC(ヘッドコーチ)を務めたラリー・ドリュー、同じく1998年から2003年まで指揮を執ったジョージ・カールの2人も、現役時代はこの番号だった。
そして現在、バックスの中心選手の1人であるクリス・ミドルトンも背番号22。1995~97年に同番号を着用したジョニー・ニューマンも含め、バックスの22番はみなプレースタイルの似た選手が着けている。
守備型の22番としては、デイブ・デバッシャーが第一人者だろう。キャリア3年目だったデトロイト・ピストンズ時代の1964-65シーズン、24歳の若さでHCを兼任したほどの聡明な選手で、1968年にニューヨーク・ニックスへ移籍。6年連続でオールディフェンシブチームに選ばれる活躍で2度の優勝に貢献し、同球団の欠番になった。
ピストンズの後輩で2004年の優勝メンバーであるテイショーン・プリンスは、2005年から4年連続でオールディフェンシブチーム選出。同球団の22番は1980年代後半に一世を風靡した“バッドボーイズ”の一員ジョン・サリーなど、守備に秀でたタイプが揃っている。現レイカーズのエイブリー・ブラッドリーが1年だけピストンズにいた時もこの番号だった。
リッキー・ピアースも得点力の高いガードで、ミルウォーキー・バックス時代の1990年にはベンチ出場中心ながら平均23.0点をあげ、シックスマン賞を受賞。またバックスでは2000年代前半にチームを牽引したマイケル・レッドのほか、2013-14シーズンにHC(ヘッドコーチ)を務めたラリー・ドリュー、同じく1998年から2003年まで指揮を執ったジョージ・カールの2人も、現役時代はこの番号だった。
そして現在、バックスの中心選手の1人であるクリス・ミドルトンも背番号22。1995~97年に同番号を着用したジョニー・ニューマンも含め、バックスの22番はみなプレースタイルの似た選手が着けている。
守備型の22番としては、デイブ・デバッシャーが第一人者だろう。キャリア3年目だったデトロイト・ピストンズ時代の1964-65シーズン、24歳の若さでHCを兼任したほどの聡明な選手で、1968年にニューヨーク・ニックスへ移籍。6年連続でオールディフェンシブチームに選ばれる活躍で2度の優勝に貢献し、同球団の欠番になった。
ピストンズの後輩で2004年の優勝メンバーであるテイショーン・プリンスは、2005年から4年連続でオールディフェンシブチーム選出。同球団の22番は1980年代後半に一世を風靡した“バッドボーイズ”の一員ジョン・サリーなど、守備に秀でたタイプが揃っている。現レイカーズのエイブリー・ブラッドリーが1年だけピストンズにいた時もこの番号だった。