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NBA

NBAドラフトの黒歴史?チームの期待を裏切った上位指名“大ハズレ”選手番付|後編

ダンクシュート編集部

2020.11.19

オーデン(左)は大学時代がバスケキャリアのピーク、ベネット(右)はプロ入り2年で解雇という、ロッタリー制導入以降のドラフト1位指名選手中最速記録を保持する。(C)Getty Images

オーデン(左)は大学時代がバスケキャリアのピーク、ベネット(右)はプロ入り2年で解雇という、ロッタリー制導入以降のドラフト1位指名選手中最速記録を保持する。(C)Getty Images

小結/サム・ブーイ(1984年2位)
 今回番付を組んでみて、最も意外だったのがブーイの三役入り。ケガに苦しんだキャリアだったとはいえ、89-90シーズンには68試合に出場し、平均14.7点、10.1リバウンドのダブルダブルをマークしている。11年間のキャリア平均は10.9点、7.5リバウンド。確かに期待外れではあるが、小結を張るほどの器ではないと思っていた。

 ブーイの2位指名が大失敗とされている理由、それは史上最高のバスケットボール選手、ジョーダンの前に選ばれたからにほかならない。2位指名権を持っていたブレイザーズのSGには、若手有望株のクライド・ドレクスラーがすでにいたため、首脳陣はジョーダンではなくビッグマンのブーイを選択。もしジョーダンとブーイの順位が入れ替わっていたら、ブーイはここまで蔑まれることはなく、三役どころか幕内にすら入れなかっただろう。

関脇/グレッグ・オーデン(2007年1位)
 無限の可能性をケガで台無しにした選手の代表格。“10年に1人”、“ビル・ラッセルの再来”とまで謳われた傑物が、度重なるケガのため、わずか105試合に出場しただけでNBAのコートから去っていった。本当に残念であり、不憫である。とはいえ、獲得したブレイザーズ側から見れば、オーデンの大コケはそんなレベルの話ではなかったはずだ。ましてや1位指名候補の対抗馬がデュラントだっただけに、悔しさや失望の度合いは尋常ではなかっただろう。また、金銭的にも大きな打撃を被っている。稼いだサラリー総額と総出場時間から時給を算出したところ、日本円にして約8000万円。平均出場時間は19.3分なので、たった9試合の出場で、日本人の平均生涯賃金を稼いだ計算になる。
 
大関/クワミ・ブラウン(2001年1位)
 史上初の高校生ドラ1となったブラウンもまた、モリソンと同様にジョーダン物件だ。00年にウィザーズの共同オーナー兼バスケットボール部門社長に就任したジョーダンは、周囲の予想に反して若いブラウンに白羽の矢を立てる。注目度の高さや過度な期待、さらにドラフトの3か月後に現役復帰を表明し、突如チームメイトとなったジョーダン先輩からの強烈なプレッシャーに気圧され、なかなか結果を出せなかった。精神的に追い込まれたブラウンは、期待に応えられないまま、4シーズン後にはトレードの憂き目に遭い、その後6チームを渡り歩いた末にユニフォームを脱ぐ。ジョーダン経由ではなく、他のルートでNBAに飛び込み、プレッシャーの少ない状況でプレーしていたら、どんな選手になっていただろう……。

横綱/アンソニー・ベネット(2013年1位)
 失敗ドラフト選手界のラスボス、それがベネットだ。ケガや事故、ドラッグといったイレギュラーな要因以外では、そのダメっぷりが三役の選手より頭ひとつ抜け出ている。ルーキー時のトレーニングキャンプにオーバーウェイトで現われ、プロ1本目のフィールドゴールを決めるまで足かけ5試合、17本のシュートを要した逸材中の逸材である。

 4年間で4チームを彷徨い、早々にNBAからドロップアウト。トルコのプロリーグで数か月プレーした後、Gリーグ3チームを渡り歩き、19年7月にはロケッツと悲願の契約を結ぶも、トレーニングキャンプ中に解雇。まだ27歳、土俵際でつま先立ちの状態だが、なんとか踏ん張ることができるか。生暖かい目で見守っていきたい。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2018年3月号掲載原稿に加筆・修正
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