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NBA

ティム・ハーダウェイ――伝説のキラー・クロスオーバーで一世を風靡した小さな巨人【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2020.12.02

 大学4年間では1586点を稼ぎ、同じように小柄なポイントガードとしてNBAでも大活躍した、ネイト・アーチボルドの学校記録を更新した。身長183cm未満の最優秀選手に贈られるフランセス・ポメロイ・ネイスミス賞も手にした。それでも、NBAのスカウトたちは彼の身長がどうしても気になった。89年のドラフトでは、ようやく14位でゴールデンステイト・ウォリアーズから指名された。弱点であるフロントコート補強を希望していたファンも、ハーダウェイの指名にいい顔をしなかった。

 けれども、そうした批判や疑念は実力で封じ込めた。79試合中1試合を除いてすべて先発出場。平均14.7点、8.7アシスト(リーグ9位)、2.09スティール(同10位)の素晴らしい数字を残した。689アシストは、新人としては史上3位の高水準だった。残念ながら、新人王は2年前にドラフトされたのち、海軍に入隊してプロ入りが遅れていたデビッド・ロビンソン(サンアントニオ・スパーズ)の手に渡ったが、ハーダウェイの数字は自分より前に指名された13人と比較しても際立っていた。
 
■一世を風靡した、超攻撃トリオ、RUN-TMC

 成績だけでなく、自慢のキラー・クロスオーバーで彼は瞬く間に人気選手となった。ファンだけでなく、他球団の選手たちも目を見張った。「あれほどえげつないムーブは見たことがない。驚異という以外にないね」(マジック・ジョンソン)。

 翌90-91シーズンは平均得点が22.9まで伸び、9.7アシストは4位、2.61スティールは5位。2年目にしてリーグ有数のポイントガードとなった。プレーオフでもロサンゼルス・レイカーズとのカンファレンス準決勝第2戦で28点、14アシストに加え、当時のプレーオフ新記録となる8スティール。第5戦でも27点、20アシストと大暴れした。

 これほど早く成功を収めた理由のひとつには、当時のウォリアーズのチーム事情があった。ヘッドコーチのドン・ネルソンが、選手たちをとにかく走らせ、積極的にシュートを打たせるラン・アンド・ガン戦法の信奉者で、ハーダウェイのプレースタイルはその方針に完全に一致していたのだ。ハーダウェイ以外にも、クリス・マリンが25.7点、ミッチ・リッチモンドが23.9点の高得点。この3人が展開する超攻撃的なバスケットボールはファンの人気を博し、80年代の人気ラップグループ、RUN-DMCをもじって「RUN-TMC」(TMCはハーダウェイ、リッチモンド、マリンのファーストネームの頭文字)と呼ばれた。(後編に続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年12月号掲載原稿に加筆・修正。

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