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NBA

NBAがABAを吸収合併した“理由”と言われた男、史上最高選手の1人“ドクターJ”アービング【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.12.05

 勝利への最後の1ピースは、アービング同様ABA出身のスーパースターだった。1982-83シーズン、シクサーズは前年のMVPで、当時最高のセンターだったモーゼス・マローンを獲得。アービングとマローンの超強力コンビが誕生し、アンドリュー・トニーやモーリス・チークスら脇役も充実したシクサーズは無敵となった。プレーオフでは1敗のみ、ファイナルでもレイカーズをスウィープし、アービングはついにNBAでも頂点に立つ。ファイナルMVPのマローンは、自分はそっちのけでアービングを祝福した。

「俺はドク(アービング)のために戦ったんだ。彼と一緒のチームで優勝したかったんだ!」

 1984年にチャールズ・バークレーがシクサーズに入団してからは、引き続き精神的な柱ではあったが、徐々にチームの中心はバークレーへ移っていった。マイケル・ジョーダンやバークレーの時代の到来と入れ替わるようにして、アービングは1986-87シーズン限りでの引退を宣言。どの遠征先でも餞別の品が届けられ、フィラデルフィアでは市内をパレードして3万人の市民が別れを惜しんだ。最後から2試合目に到達した通算3万点(ABAとNBAの合計)は、当時史上3人目の快挙だった。
 
■NBA史上最高のヒーローのひとり、アービング

 アービングとジョーダンは、それぞれの時代で最高のスーパースターだった。ネッツ時代はアシスタントコーチとしてアービングを、シカゴ・ブルズ時代はゼネラルマネージャーとしてジョーダンをよく知るロッド・ソーンは、2人について次のように語っている。

「選手としての総合的な能力はジョーダンの方が上だ。でもジュリアスはチームリーダーだっただけでなく、リーグ全体のスポークスマンでもあった。彼はほかの選手たちのことも常に気にかけていたよ。新人や控えの選手に自信をつけさせるために、積極的にパスを回したり、食事に連れ出して激励したり、メディアの前で彼らを誉めたりもしていた」。こうした点は、能力の劣る選手に対して冷淡な面もあったジョーダンとは、まったく異なる姿勢だった。

 アービングが聖人君子だったとは言わない。ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)とコート上で殴り合いをしたこともあったし、引退後は隠し子騒動にも見舞われた。それでも、そうした出来事は彼の評判をいささかも傷つけなかった。人格者にして勝利者、発明家にして芸術家であったアービングの名は、NBA史上最高のヒーローの1人として、これからも決して色褪せることはない。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2009年1月号掲載原稿に加筆・修正。

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