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NBA

“ショータイム・バスケット”の準主役。80年代レイカーズを支えたバイロン・スコットの功績【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.12.17

 高校時代はアメリカンフットボールのクォーターバックや野球のピッチャーも務めたが、彼が最もその才能を発揮したのがバスケットボールだった。ボールハンドリングと敏捷性に優れ、シュートも正確なスコットは数多くの大学から誘われ、地元のUCLAに進むことも考えたが、最終的にはアリゾナ州立大を選択。1年目から主力として、のちにNBA選手となるラファイエット・リーバーやアルトン・リスターとともに活躍し、パック10カンファレンスの新人王に輝くと、3年時には平均21.6点の好成績を収め、通算得点の学校記録を更新した。

 もはや大学でやり残したことはないと判断したスコットは、83年のNBAドラフトにエントリー。4位でサンディエゴ・クリッパーズに指名されたのち、83―84シーズンの開幕直前にノーム・ニクソンらとの交換でレイカーズへの移籍が決まった。

「クリッパーズに指名された時も、家族が観戦に来られる距離だから嬉しかったし、ドラフトで最初に指名されたガードだったことも名誉に感じた。でもレイカーズへ行けると知った時は、天にも昇るような気持ちだった。ジェリー・ウエストに直接、“君は今日からレイカーズの一員だ”と言われたんだ。自分はカリフォルニアで一番幸運で、一番幸福な男だと思ったよ」
 
 迎えたルーキーシーズンは当初、マイク・マギーの控えとして出場していたが、1月半ばから先発に昇格。オールルーキー1stチームに選出され、プレーオフでもサンズとのカンファレンス決勝で平均13.5点をあげる活躍を披露した。ボストン・セルティックスとのファイナルでは平均6.0点と実力を発揮できず、チームも2度のオーバータイムで競り負けて優勝を逃したが、「勝てるはずのシリーズを落としたのは詰めが甘かったから。この失敗を次の機会に必ず生かす」と誓った通り、翌84-85シーズンのファイナルで再び宿敵セルティックスと相まみえると、平均11.2点、守備でも合計15スティールを奪って見事に雪辱。初のチャンピオンリングを手にした。

 数少ない地元出身選手とあって、ファンに愛されたのはもちろん、明るい性格のスコットはチームメイトの間でも人気者。移動のバスではいつもエディー・マーフィーの物真似をして周囲を笑わせていたという。特に仲が良かったマイケル・クーパーのほか、独身の頃はマジック・ジョンソンともよく連れだって遊びに出掛けた。マジック、クーパー、スコットの3人は“三銃士”と自称するくらい、深い絆で結ばれていた。(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年2月号原稿に加筆・修正

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