キッド絡みでは、彼がサンズに在籍していたときのHCだったスコット・スカイルズが、ルーキー時代と現役最終年にこの番号を着けていた。1990年に達成した1試合30アシストは、NBA記録として今も破られていないが、このときは背番号4である。
1994年にプロ入りしたキッドと同期生のジュワン・ハワードは、8球団を渡り歩きポートランド・トレイルブレイザーズを除くすべてのチームで5番(ただしほかの番号だった時期もある)。ミシガン大の“ファブ・ファイブ”でハワードの同期だったジェイレン・ローズも、サンズで過ごした最後の1年を除き、ずっと背番号5だった。
現サンズHCのモンティ・ウィリアムズもプロ入りしたのは彼らと同じ年。こちらは現役最後の1年だけ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズで5番を背負った。
背番号5で最初のスター選手はガイ・ロジャース。1963年にフィラデルフィア(現ゴールデンステイト)・ウォリアーズ、1967年にシカゴ・ブルズでアシスト王に輝いた名司令塔は、抜群の視野の広さを誇り、キャリア通算6917本のアシストは引退時点で史上3位だった。
ジョン・パクソンとロバート・オリーはともにクラッチシューターとして名を残している。パクソンは1993年のファイナルでブルズの3連覇を決める3ポイントを沈め、オリーはヒューストン・ロケッツ、レイカーズ、サンアントニオ・スパーズでの数々の劇的なシュートで“ビッグショット・ロブ”の異名を取った。パクソンはそのブルズ時代のみ5番、オリーはロケッツ時代は25番だったが、レイカーズではゲイル・グッドリッジの欠番であり、2番もデレック・フィッシャーがつけていたため5番を選び、スパーズでも継続している。
1988年にクリッパーズがドラフト1位で指名したダニー・マニングは、2年目から5番を背負いオールスターに2度出場。2002年にワシントン・ウィザーズから1位指名を受け、5番を与えられたクワミ・ブラウンだが、残念ながら大成できなかった。一方、同年のドラフトでは35位と下位指名だったカルロス・ブーザー(元ユタ・ジャズほか)はオールスター選手に成長。低評価を覆した5番には、ビリー・ポールツもいる。1970年のドラフト7巡目、実に103番目での指名だったのが、ABAではブロック王になるなど活躍。NBAも含め15年間で6球団に在籍し、5番以外は一度も着けなかった。
1994年にプロ入りしたキッドと同期生のジュワン・ハワードは、8球団を渡り歩きポートランド・トレイルブレイザーズを除くすべてのチームで5番(ただしほかの番号だった時期もある)。ミシガン大の“ファブ・ファイブ”でハワードの同期だったジェイレン・ローズも、サンズで過ごした最後の1年を除き、ずっと背番号5だった。
現サンズHCのモンティ・ウィリアムズもプロ入りしたのは彼らと同じ年。こちらは現役最後の1年だけ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズで5番を背負った。
背番号5で最初のスター選手はガイ・ロジャース。1963年にフィラデルフィア(現ゴールデンステイト)・ウォリアーズ、1967年にシカゴ・ブルズでアシスト王に輝いた名司令塔は、抜群の視野の広さを誇り、キャリア通算6917本のアシストは引退時点で史上3位だった。
ジョン・パクソンとロバート・オリーはともにクラッチシューターとして名を残している。パクソンは1993年のファイナルでブルズの3連覇を決める3ポイントを沈め、オリーはヒューストン・ロケッツ、レイカーズ、サンアントニオ・スパーズでの数々の劇的なシュートで“ビッグショット・ロブ”の異名を取った。パクソンはそのブルズ時代のみ5番、オリーはロケッツ時代は25番だったが、レイカーズではゲイル・グッドリッジの欠番であり、2番もデレック・フィッシャーがつけていたため5番を選び、スパーズでも継続している。
1988年にクリッパーズがドラフト1位で指名したダニー・マニングは、2年目から5番を背負いオールスターに2度出場。2002年にワシントン・ウィザーズから1位指名を受け、5番を与えられたクワミ・ブラウンだが、残念ながら大成できなかった。一方、同年のドラフトでは35位と下位指名だったカルロス・ブーザー(元ユタ・ジャズほか)はオールスター選手に成長。低評価を覆した5番には、ビリー・ポールツもいる。1970年のドラフト7巡目、実に103番目での指名だったのが、ABAではブロック王になるなど活躍。NBAも含め15年間で6球団に在籍し、5番以外は一度も着けなかった。
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