今は違う背番号だが、以前は5番だった現役選手はヴィクター・オラディポ(インディアナ・ペイサーズ)、ケンテイビアス・コールドウェル・ポープ(レイカーズ)、ティム・ハーダウェイJr.(マブズ)らがいる。ハーダウェイの父でドリブラーとして名を馳せたティム・シニアも、ルーキーイヤーは5番だった。
昨季はレイカーズに在籍していたJR・スミスは、2004年のドラフト18位指名。ひとつ前の17位指名だったジョシュ・スミス(元アトランタ・ホークスほか)とは、同期でイニシャルが同じだけでなく、背番号5で長くプレーした点も共通している。
変わり種では、野球選手として大成したディック・グロートとフランキー・バウムホルツがバスケットボール選手では背番号5だった。デューク大時代に2年連続でオールアメリカンに選出され、1952年のドラフト3位でピストンズに入団したグロートは、1960年にナ・リーグMVPを受賞。バウムホルツも1947年にNBAの前身となるBAAで、リーグ8位の平均14.0点を記録した。なお、2人ともMLBで背番号5だったことはない。
また、韓国人初のNBAプレーヤーであるハ・スンジン(元ポートランド・トレイルブレイザーズ)や、日本で10年以上プレーしたチャールズ・オバノンも、ピストンズでの2年間は5番を背負っていた。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年1月号原稿に加筆・修正
【PHOTO】ロッドマン、ジョーダン、アイバーソン、シャック…NBA史に残る偉大なレジェンドたち!
昨季はレイカーズに在籍していたJR・スミスは、2004年のドラフト18位指名。ひとつ前の17位指名だったジョシュ・スミス(元アトランタ・ホークスほか)とは、同期でイニシャルが同じだけでなく、背番号5で長くプレーした点も共通している。
変わり種では、野球選手として大成したディック・グロートとフランキー・バウムホルツがバスケットボール選手では背番号5だった。デューク大時代に2年連続でオールアメリカンに選出され、1952年のドラフト3位でピストンズに入団したグロートは、1960年にナ・リーグMVPを受賞。バウムホルツも1947年にNBAの前身となるBAAで、リーグ8位の平均14.0点を記録した。なお、2人ともMLBで背番号5だったことはない。
また、韓国人初のNBAプレーヤーであるハ・スンジン(元ポートランド・トレイルブレイザーズ)や、日本で10年以上プレーしたチャールズ・オバノンも、ピストンズでの2年間は5番を背負っていた。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年1月号原稿に加筆・修正
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