1971年には、前年のハードとまったく同じドラフト3巡目40位で、クリフォード・レイがシカゴ・ブルズに入団。こちらも1974年に平均12.2リバウンドを記録したほか、ゴールデンステイト・ウォリアーズに移った1975年はファイナルでチームトップの平均10リバウンドを奪取し、スウィープでの優勝に貢献している。
1975年にはドラフト4位でアルバン・アダムズがサンズ入り。パスセンスに秀でたセンターで、1年目は平均19.0点、9.1リバウンド、5.6アシストで新人王を受賞。1988年限りで引退するまでずっとサンズに在籍し、通算出場試合数、リバウンド、スティールなどで今なお球団記録を保持している。
1976年のファイナルにはハード、アダムズ以外にもう1人、オクラホマ大関係者がいた。サンズのヘッドコーチ(HC)を務めていたジョン・マクロード。1973年にサンズにやって来る直前までの6年間、スーナーズの指揮官を務めており、ハードとアダムズは大学とプロの両方でマクロードの教え子となった。1987年まで14年間もサンズで采配を振ったマクロードは、2012年に同球団のリング・オブ・オーナー(チーム殿堂)に選出され、1988年に選ばれていたアダムズの仲間に加わっている。
このような有力選手たちを擁しながらも、チーム自体は長くトーナメントと無縁で、1979年に32年ぶりの出場。本格的に強豪となったのは、アップテンポな試合を得意とするビリー・タッブスがHCとなった1980年以降で、1983年から8年連続で出場を果たす。
1983~85年に3年連続でカンファレンスMVPに輝いたウェイマン・ティズデイルは、1984年にロサンゼルス五輪代表として金メダルを手にしたほか、1年生でオール・アメリカンに選ばれた初の選手でもあった。1試合61得点、シーズン932得点、大学通算2661得点はすべて学校記録であり、1985年にドラフト2位でインディアナ・ペイサーズに入団。スターとまでは呼べなかったが、サクラメント・キングス時代には平均20点以上を稼ぐなど確かな足跡を残した。ベーシストとしての腕前も相当なもので、アルバムがビルボード誌のジャズ・チャートで1位になったこともあったものの、癌に侵され44歳の若さでこの世を去っている。
1975年にはドラフト4位でアルバン・アダムズがサンズ入り。パスセンスに秀でたセンターで、1年目は平均19.0点、9.1リバウンド、5.6アシストで新人王を受賞。1988年限りで引退するまでずっとサンズに在籍し、通算出場試合数、リバウンド、スティールなどで今なお球団記録を保持している。
1976年のファイナルにはハード、アダムズ以外にもう1人、オクラホマ大関係者がいた。サンズのヘッドコーチ(HC)を務めていたジョン・マクロード。1973年にサンズにやって来る直前までの6年間、スーナーズの指揮官を務めており、ハードとアダムズは大学とプロの両方でマクロードの教え子となった。1987年まで14年間もサンズで采配を振ったマクロードは、2012年に同球団のリング・オブ・オーナー(チーム殿堂)に選出され、1988年に選ばれていたアダムズの仲間に加わっている。
このような有力選手たちを擁しながらも、チーム自体は長くトーナメントと無縁で、1979年に32年ぶりの出場。本格的に強豪となったのは、アップテンポな試合を得意とするビリー・タッブスがHCとなった1980年以降で、1983年から8年連続で出場を果たす。
1983~85年に3年連続でカンファレンスMVPに輝いたウェイマン・ティズデイルは、1984年にロサンゼルス五輪代表として金メダルを手にしたほか、1年生でオール・アメリカンに選ばれた初の選手でもあった。1試合61得点、シーズン932得点、大学通算2661得点はすべて学校記録であり、1985年にドラフト2位でインディアナ・ペイサーズに入団。スターとまでは呼べなかったが、サクラメント・キングス時代には平均20点以上を稼ぐなど確かな足跡を残した。ベーシストとしての腕前も相当なもので、アルバムがビルボード誌のジャズ・チャートで1位になったこともあったものの、癌に侵され44歳の若さでこの世を去っている。
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