同球団で最後の7番だったのは、カーメロと同い年のブランドン・ロイ。無類の勝負強さを誇り、2008年から3年連続でオールスターに出場。スターダムを駆け上がっていたが、ヒザのケガにより26歳で事実上選手生命を断たれた。まだ正式な欠番とはされておらず、カーメロは未練たらたら、さらにロイ自身も「カーメロにつけてもらえるなら名誉だ」とまで言っているのだが、宙ぶらりんの状態が続いている。
1980~90年代には、背番号7を背負ったPGの活躍が目立った。その筆頭が、2008~16年にサクラメント市長を務めたケビン・ジョンソン(KJ)。大学時代~プロ入り当初は11番だったが、フェニックス・サンズに移籍して2年目の88年、ドラフト7位指名にちなんで7番に変更。小柄ながらも抜群の身体能力を生かして豪快なダンクを決め、パサーとしても通算9.1アシストをマークして、サンズの欠番になった。
ケニー・アンダーソンはネッツをはじめとする4球団で7番、キャブズで11番だったテレル・ブランドンは、ミルウォーキー・バックスとミネソタ・ティンバーウルブズでこの番号を選んだ。ディー・ブラウン(ボストン・セルティックス)は91年に行なわれたダンクコンテストで目隠しダンクを披露したことで有名。セルティックスでは同姓のジェイレン・ブラウンが現在7番で活躍中である。こちらはPGではなくウイングの選手だが、ディーに敬意を表し、目隠しダンクを模した画像をセルティックスの公式サイトに上げたこともあった。
現役のPGではカイル・ラウリー(ラプターズ)が15年から6年連続でオールスターに出場。昨季ラプターズで17番だったジェレミー・リンは、デュラントと同じく聖書に因んで7番か、空き番号でなかった場合は1をプラスして17番をつけている。昨季のプレーオフで大活躍したゴラン・ドラギッチは、15年にマイアミ・ヒートへ移籍してからずっと7番。バックスで背番号13だったマルコム・ブログドンは、インディアナ・ペイサーズ移籍時に「好きな数字」という単純明快な理由で7番に変えた。
背番号7で最初のスター選手と言われるアンディ・フィリップもPGで、50年代に5度オールスターに選ばれた名司令塔。ウォリアーズ時代の3年間で7番をつけ、51、52年に2年連続アシスト王に輝いた。
クロアチア出身のトニー・クーコッチは、95年にシックスマン賞を受賞した左利きのオールラウンダー。PGではないけれども、208㎝の長身ながら視野が広く“ヨーロッパのマジック・ジョンソン”と呼ばれ、ブルズの2度目の3連覇時の重要なメンバーだった。
そのほかビッグマンでは、ペイサーズ在籍時の02年にMIPを受賞したジャーメイン・オニール)、多彩なスキルで09、10年にレイカーズの連覇に貢献したラマー・オドムが長きにわたって7番を背負った。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年4月号掲載原稿に加筆・修正。
【PHOTO】毎試合20点超えは朝飯前!”天才スコアラー”ケビン・デュラントの厳選ショット!
1980~90年代には、背番号7を背負ったPGの活躍が目立った。その筆頭が、2008~16年にサクラメント市長を務めたケビン・ジョンソン(KJ)。大学時代~プロ入り当初は11番だったが、フェニックス・サンズに移籍して2年目の88年、ドラフト7位指名にちなんで7番に変更。小柄ながらも抜群の身体能力を生かして豪快なダンクを決め、パサーとしても通算9.1アシストをマークして、サンズの欠番になった。
ケニー・アンダーソンはネッツをはじめとする4球団で7番、キャブズで11番だったテレル・ブランドンは、ミルウォーキー・バックスとミネソタ・ティンバーウルブズでこの番号を選んだ。ディー・ブラウン(ボストン・セルティックス)は91年に行なわれたダンクコンテストで目隠しダンクを披露したことで有名。セルティックスでは同姓のジェイレン・ブラウンが現在7番で活躍中である。こちらはPGではなくウイングの選手だが、ディーに敬意を表し、目隠しダンクを模した画像をセルティックスの公式サイトに上げたこともあった。
現役のPGではカイル・ラウリー(ラプターズ)が15年から6年連続でオールスターに出場。昨季ラプターズで17番だったジェレミー・リンは、デュラントと同じく聖書に因んで7番か、空き番号でなかった場合は1をプラスして17番をつけている。昨季のプレーオフで大活躍したゴラン・ドラギッチは、15年にマイアミ・ヒートへ移籍してからずっと7番。バックスで背番号13だったマルコム・ブログドンは、インディアナ・ペイサーズ移籍時に「好きな数字」という単純明快な理由で7番に変えた。
背番号7で最初のスター選手と言われるアンディ・フィリップもPGで、50年代に5度オールスターに選ばれた名司令塔。ウォリアーズ時代の3年間で7番をつけ、51、52年に2年連続アシスト王に輝いた。
クロアチア出身のトニー・クーコッチは、95年にシックスマン賞を受賞した左利きのオールラウンダー。PGではないけれども、208㎝の長身ながら視野が広く“ヨーロッパのマジック・ジョンソン”と呼ばれ、ブルズの2度目の3連覇時の重要なメンバーだった。
そのほかビッグマンでは、ペイサーズ在籍時の02年にMIPを受賞したジャーメイン・オニール)、多彩なスキルで09、10年にレイカーズの連覇に貢献したラマー・オドムが長きにわたって7番を背負った。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年4月号掲載原稿に加筆・修正。
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