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NBA

「対戦相手全員を憎んでいた」名門デューク大の象徴クリスチャン・レイトナーは、なぜ大学バスケ界最大の悪役となったか【前編】〈DUNKSHOOT〉

アイラ・ウィンダーマン

2021.03.22

 しかし、レイトナーの前に立ちはだかったものの、あえなく敗れ去ったチームには憎しみしか残らなかったかもしれない。

 レイトナーのブザービーターによってファイナル4進出を阻まれた1990年のコネティカット大しかり、無敗でファイナル4まで勝ち進みながら、レイトナーに決勝フリースローを沈められて連覇を阻まれた1991年のUNLVしかり、NCAAトーナメント史上最も劇的なショットの餌食となった1992年のケンタッキー大しかり。

■サイズと身体能力の低さを、相手を憎む闘争心でカバー

 整った顔立ちとは裏腹に激しい闘志を燃やすレイトナーが相手チームに抱く憎しみは、チームメイトにまで誤った意識を刷り込むことさえあった。

 今でも語り継がれている事件が起こったのは、そのケンタッキー大戦の序盤だった。レイトナーがアミヌ・ティンバーレイクを故意に踏みつけたのである。後に彼自身も「常軌を逸した行動だった」と認めている。これをきっかけに、“デューク大はえこひいきされている”との批判はますます高まっていく。その場でレイトナーが退場処分を受けていれば、あの歴史的なブザービーターはなかったのだ。
 
 レイトナーが在学中のデューク大は、1989年にファイナル4、90年に準優勝、91、92年に連覇と、ほぼ完璧な成績を残した。異論はあるにせよ、その栄光の歴史が変わることはない。

 ドラフト同期のアロンゾ・モーニングとシャキール・オニールが肉弾戦で勝負したとすれば、レイトナーは傲慢さで対抗したと言えよう。

 2015年に “私はクリスチャン・レイトナーが大嫌い”と題したESPNのドキュメンタリー番組が先行公開された際に、レイトナー自身が語っている。

「これから先の人生も嫌われ者のままでいたいとは思わないし、自ら悪役の道を極めようとも思っていない。逆に俺が追い求めたのは上手いバスケットボールプレーヤーになることと、チームの勝利だった」

 このドキュメンタリーでは、プロレスラーのリック・フレアーが次のように語っている。
 
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