8位/ラリー・バード
(インディアナ州大/1975~79/SF)
インディアナ州大のバスケットボールチーム年表を見ると、1899年の創部からAPランキングやNCAAトーナメントとまったく無縁な年が延々と続いているのだが、1977-78シーズンにいきなりAPランキングで4位(最高位。最終はランク外)、翌シーズンには1位、NCAAトーナメント準優勝と記されており、それ以降は再びまっさらな年が続く。
1979年のNCAAトーナメント決勝、マジック率いるミシガン州大との世紀の一戦で軍配はマジックに上がったが、1978-79シーズンの主要個人賞7つはすべてバードが受賞している。大学時代の平均成績は30.3点、13.3リバウンド、4.6アシスト。歴代カレッジプレーヤー・ランキングのトップ10入りにふさわしい、あっぱれな数字だ。
今回ランクインした15人全員に言えることだが、とりわけバードがインディアナ州大に入学していなかったら、同校の歴史は今とまったく違うものになっていただろう。そして、バードという選手が存在しなかったら、カレッジバスケットボールの歴史も、NBAの歴史も、今とは違うものになっていたかもしれない。
7位/ジェリー・ウエスト
(ウエストバージニア大/1956~60/SG)
そのシルエットがNBAのロゴになっている、ご存知“ミスター・ロゴ”。NBA時代はクラッチ・シチュエーションにおける無類の勝負強さから“ミスター・クラッチ”と呼ばれ、引退後は名エグゼクティブとして名を馳せた。NBAを象徴する人物の1人であり、NBAのイメージがあまりにも強烈だが、調べてみるとカレッジでもズバ抜けた存在だったことがわかる。
ウエストバージニア大の最終学年、出場した31試合中30試合でダブルダブルをマークし、15試合で30点オーバーを記録。驚くのは身長188㎝のガードながら平均16.5本のリバウンドをもぎ取っていることだ。
他のすべてのスタッツもおしなべてレベルが高く、リーダーシップにも人一倍秀でていたという。完全無欠。カレッジ時代から、あらゆる面においてスペシャルな選手であり、人物だったのだろう。NBAロゴへの起用も、歴代屈指の名GMにも、なるべくしてなったようだ。
(インディアナ州大/1975~79/SF)
インディアナ州大のバスケットボールチーム年表を見ると、1899年の創部からAPランキングやNCAAトーナメントとまったく無縁な年が延々と続いているのだが、1977-78シーズンにいきなりAPランキングで4位(最高位。最終はランク外)、翌シーズンには1位、NCAAトーナメント準優勝と記されており、それ以降は再びまっさらな年が続く。
1979年のNCAAトーナメント決勝、マジック率いるミシガン州大との世紀の一戦で軍配はマジックに上がったが、1978-79シーズンの主要個人賞7つはすべてバードが受賞している。大学時代の平均成績は30.3点、13.3リバウンド、4.6アシスト。歴代カレッジプレーヤー・ランキングのトップ10入りにふさわしい、あっぱれな数字だ。
今回ランクインした15人全員に言えることだが、とりわけバードがインディアナ州大に入学していなかったら、同校の歴史は今とまったく違うものになっていただろう。そして、バードという選手が存在しなかったら、カレッジバスケットボールの歴史も、NBAの歴史も、今とは違うものになっていたかもしれない。
7位/ジェリー・ウエスト
(ウエストバージニア大/1956~60/SG)
そのシルエットがNBAのロゴになっている、ご存知“ミスター・ロゴ”。NBA時代はクラッチ・シチュエーションにおける無類の勝負強さから“ミスター・クラッチ”と呼ばれ、引退後は名エグゼクティブとして名を馳せた。NBAを象徴する人物の1人であり、NBAのイメージがあまりにも強烈だが、調べてみるとカレッジでもズバ抜けた存在だったことがわかる。
ウエストバージニア大の最終学年、出場した31試合中30試合でダブルダブルをマークし、15試合で30点オーバーを記録。驚くのは身長188㎝のガードながら平均16.5本のリバウンドをもぎ取っていることだ。
他のすべてのスタッツもおしなべてレベルが高く、リーダーシップにも人一倍秀でていたという。完全無欠。カレッジ時代から、あらゆる面においてスペシャルな選手であり、人物だったのだろう。NBAロゴへの起用も、歴代屈指の名GMにも、なるべくしてなったようだ。