3位/ビル・ウォルトン
(UCLA/1970~74/C)
カレッジバスケットボール界における“史上最高の白人センター”ウォルトンは、1970年代前半のNCAAを代表するスター選手の1人である。7連覇を達成したUCLA王朝のラストエンペラーとして君臨し、6、7連覇目はウォルトンの独壇場だった。その2年間はなんと一度も負けず、NCAA記録となる88連勝を達成している。
正確無比なシュートと巧みなリバウンド、そして勝負強さを兼ね備えた、まさに理想的なセンター。通算FG成功率68.6%は今もNCAAトーナメント記録(FG試投数75本以上)として残っている。
1973年のNCAAトーナメント決勝、メンフィス大との一戦で見せたパフォーマンスは語り草だ。放った22本のシュートのうち21本を沈め、44得点、13リバウンドと八面六臂の大活躍。ウォルトン以降、何人もの白人センターがカレッジバスケットボールの世界で大成しようと奮闘しているが、肩を並べるどころか同じ土俵に立てた選手すらいない。
2位/オスカー・ロバートソン
(シンシナティ大/1956~60/PG)
得点、リバウンド、ディフェンス、それらすべてを完璧に近いレベルでこなした究極の万能型選手、それがロバートソンだ。
平均33.8点はピート・マラビッチ、オースティン・カーに次いで歴代3位。加えて平均15.2リバウンド、7.1アシストも記録しており、狙いさえすれば平均トリプルダブルも達成できただろう。大学でプレーした3シーズンすべてで得点王に輝き、50得点オーバーを6回記録。33試合連続でダブルダブルを達成している。
そんな個人としては完璧に近い選手でも、どうしても手に入れられないものがあった。チームの優勝である。ロバートソンがシンシナティ大でプレーした3年間の戦績はトータルで79勝9敗。4年時にはAPランキング1位まで上り詰めたが、NCAAトーナメントでは最高でファイナル4止まり。
ロバートソンが卒業してすぐさま、シンシナティ大は絶頂期を迎える。1961年、初優勝。62年、2連覇達成。63年、準優勝。ロバートソンはサポーティングキャストに恵まれなかったのか、それともただ運に恵まれなかっただけなのか。そのもどかしさは、NBAに行っても続くのだった。
(UCLA/1970~74/C)
カレッジバスケットボール界における“史上最高の白人センター”ウォルトンは、1970年代前半のNCAAを代表するスター選手の1人である。7連覇を達成したUCLA王朝のラストエンペラーとして君臨し、6、7連覇目はウォルトンの独壇場だった。その2年間はなんと一度も負けず、NCAA記録となる88連勝を達成している。
正確無比なシュートと巧みなリバウンド、そして勝負強さを兼ね備えた、まさに理想的なセンター。通算FG成功率68.6%は今もNCAAトーナメント記録(FG試投数75本以上)として残っている。
1973年のNCAAトーナメント決勝、メンフィス大との一戦で見せたパフォーマンスは語り草だ。放った22本のシュートのうち21本を沈め、44得点、13リバウンドと八面六臂の大活躍。ウォルトン以降、何人もの白人センターがカレッジバスケットボールの世界で大成しようと奮闘しているが、肩を並べるどころか同じ土俵に立てた選手すらいない。
2位/オスカー・ロバートソン
(シンシナティ大/1956~60/PG)
得点、リバウンド、ディフェンス、それらすべてを完璧に近いレベルでこなした究極の万能型選手、それがロバートソンだ。
平均33.8点はピート・マラビッチ、オースティン・カーに次いで歴代3位。加えて平均15.2リバウンド、7.1アシストも記録しており、狙いさえすれば平均トリプルダブルも達成できただろう。大学でプレーした3シーズンすべてで得点王に輝き、50得点オーバーを6回記録。33試合連続でダブルダブルを達成している。
そんな個人としては完璧に近い選手でも、どうしても手に入れられないものがあった。チームの優勝である。ロバートソンがシンシナティ大でプレーした3年間の戦績はトータルで79勝9敗。4年時にはAPランキング1位まで上り詰めたが、NCAAトーナメントでは最高でファイナル4止まり。
ロバートソンが卒業してすぐさま、シンシナティ大は絶頂期を迎える。1961年、初優勝。62年、2連覇達成。63年、準優勝。ロバートソンはサポーティングキャストに恵まれなかったのか、それともただ運に恵まれなかっただけなのか。そのもどかしさは、NBAに行っても続くのだった。