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NBA

「未来が制限されてしまった…」ペニーが後悔の念。一世を風靡した大型PGのキャリアを狂わせた出来事とは――【NBA】

ダンクシュート編集部

2021.04.07

 奇しくも、シャックも過去のインタビューで、「俺たちは新しいマジック(ジョンソン)と新しいカリーム(アブドゥル・ジャバー)だと思っていた。一緒にプレーしていた時にはとにかくヤバかった。ペニーはコビーが現れる前のコビーだった。もし(マジックでずっと)一緒にプレーしていたら、間違いなく1個、いやおそらく2個はチャンピオンリングを獲得していただろう」と同じ見解を述べていた。コンビ解消直前は確執も取り沙汰されていた2人だが、お互いの実力は認め合っていたのだ。

 そしてペニーは、現役時代に苦しめられたケガについても言及している。シャックがレイカーズへ移籍した96-97シーズン、ペニーはマジックのエースに昇格したが、ジャパンゲームで日本を訪れた後、左ヒザの関節鏡手術を受けて23試合を欠場。97-98シーズンにもヒザを痛めて後半戦を棒に振り、2000年5月にも左ヒザのマイクロフラクチャー手術を受けるなど、徐々に輝きが失われていった。
 
「ケガが私のキャリアを狂わせた。(ヒザの)マイクロフラクチャー法は当時そこまで浸透していなくて、私が最初に手術を受けた選手の1人みたいなものだった。(フェニックス・サンズに所属していた)2000年のプレーオフでは半月板を断裂しながら戦っていて、いつも試合前にヒザに痛み止めの注射を打っていたんだ。

 シーズン終了後、ドクターは手術をしようと言った。彼は長期的に見て、私のキャリアを伸ばすことができると思っていて、私はそれに同意した。のちに分かったことだけど、その時に手術はすべきじゃなかった。私の未来が制限されてしまったんだ」

 実際、同年のプレーオフでペニーは9試合で平均42.9分、20.3点、4.9リバウンド、5.7アシスト、1.56スティール、1.00ブロックとエースとしてフル稼働した。しかし、オフに手術を敢行したことで2000-01シーズンは4試合プレーしたのみで終了。

 ロールプレーヤーにシフトしてチームを支えたとはいえ、本来の爆発力や輝きが戻ることは決してなかった。ペニー自身も、NBAキャリアを振り返った時に“たられば”と思うことは少なからずあるようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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