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NBA

愛称は“おばあちゃん”。ダラスの不良少年だったラリー・ジョンソンがNBAスターになるまで【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.05.20

 1990年のNCAAトーナメント決勝戦で、UNLVは3年連続でファイナル4に進出していた強豪デューク大を105-75と圧倒した。30点差は決勝戦での最多得点差記録として、今でも破られていない。

 続く91年もレギュラーシーズンは27戦全勝だったが、選手権準決勝でデューク大との再戦に敗れた。それでもジョンソンはウッデン賞とネイスミス賞をダブル受賞。大学最高の選手との評価を決定的にし、同年のドラフト1位でシャーロット・ホーネッツに入団した。

【「ダンクするおばあちゃん」で一世を風靡したコマーシャル】

 プロ入り当初は背の低さを懸念する向きもあったが、ジョンソンはそんな声をあっさりと跳ね返した。平均19.2点、11.0リバウンドの活躍で新人王を受賞。続く92-93シーズンも22.1点、10.5リバウンドの好成績で、ファン投票でオールスターにも出場した。

 ジョンソンの人気を不動のものとしたのは、コンバースが制作したコマーシャルだった。老婆の扮装をしたジョンソンが豪快なダンクを披露するこのCMは、ユニークなコンセプトが大評判となって続編も制作された。ジョンソンの母が「とても私の母に似ているので驚いたわ」と漏らすほどの出来だった。こうして、イニシャルの「LJ」に加えて「グランママ」が彼の新たなニックネームとなった。
 
 実はこのCM、当初はまったく別のシナリオだった。ラリー・バードとマジック・ジョンソンが科学者に扮し、完璧なバスケットボール選手を作り出そうとする。その名はバードのファーストネームとマジックのファミリーネームを取った“ラリー・ジョンソン”―――というものだった。もしこの案が採用されていたら、ジョンソンが「グランママ」と呼ばれなかっただろう。

 ジョンソンと、92年のドラフトで大型新人のアロンゾ・モーニングを加えたホーネッツは、翌年に創設5年目で初めてプレーオフに進出。当時最盛期だったシカゴ・ブルズに取って代わるチームと目されるようになった。(後編に続く)

文●出野哲也 
※『ダンクシュート』2009年11月号掲載原稿に加筆・修正
 
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