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NBA

逆境を何度も乗り越えてきた男フェスタス・エジーリ。2015年ウォリアーズ優勝戦士の現在<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2021.05.22

キャリア2年目の2015年にはカリーらとともに優勝を経験したが……。(C)Getty Images

キャリア2年目の2015年にはカリーらとともに優勝を経験したが……。(C)Getty Images

 エジーリがすぐにバスケに夢中になったかといえばそうではなく、何度も「辞めよう」と思ったが、そのたびになぜだか、内側から湧き上がるものに突き動かされて、彼はコートに戻った。

 やがて高いフィジカル能力を武器にゲームに影響を及ぼす存在になると、いくつかあったスカウトの中からヴァンダービルト大に入学。4年間で204ブロックと、同大史上2番目の数字を残した。

 そして12年のNBAドラフトで、彼は1巡目のラスト30位で、ウォリアーズから指名を受ける。15歳の時にはドリブルすらできなかった少年は、わずか6、7年後、全米のトップ30人に名を連ねていた。

 彼が入団した頃のウォリアーズは、プレーオフから5年間遠ざかった低迷期にあった。当時のチームの様子を、エジーリはこう描写している。

「入団した時のウォリアーズはリーグの中でも最悪クラスの戦績だった。ヘッドコーチのマーク・ジャクソンは評価されていなかったけれど、彼はなんとかチームを成長させようとものすごく頑張ってくれた。そのあとを引き継いだのがスティーブ・カーだ。

 選手たちにもみんなそれぞれ個別な事情があって、クレイ・トンプソンはNBA史上最高のシューターだったが、ステフィン・カリーは、MVPになる前は、実力を疑う声も多かった。ドラフト同期のドレイモンド・グリーンは、15歳まで一切プレーしたことなかった自分より5つ下で指名されていた。ショーン・リビングストンは大ケガを経験していたし、アンドレ・イグダーラは『勝ち方を知らない』というレッテルを貼られていた。アンドリュー・ボーガットのことは、周りの人たちは『ヤツはもう終わった』と言っていた」

 
 そんな、それぞれ「見返したい」何かがあった選手たちの思いが結集したことも、ウォリアーズを黄金時代へと導く起爆剤になったのだろう。

 16年のファイナル7戦がエジーリにとってNBA最後の試合になった。ブレイザーズ移籍後まもなく左ヒザの状態が悪化すると、最初は一般的な注射での治療を試したが、最終的に亡くなった人の靭帯を移植する手術に踏み切った。

 この手術はNBA選手では前例がなく、2メートル超えのビッグマンのヒザに合う靭帯が提供されるかも難しいところだったが、17年3月に手術が叶う。ただその後は車椅子生活となり、走ったりジャンプすることはおろか、いつ歩けるかもわからない不安な日々が続いた。

 しかしそこから、『Rebuilding the Beast』( 野獣の再生)をスローガンに、現役復帰を目指す彼の挑戦が始まった。手術から1か月半後の4月22日のツイッターには、彼がコートで、座ったままシュートを打ったり、ボールハンドリングをする様子を収めた映像が投稿されている。
 
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