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NBA

カール・マローン――“メールマン”と呼ばれたスコアリングマシンの知られざる物語【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.09.15

相棒のストックトン(左)とは抜群のコンビネーションを誇り、ジャズはウエスト屈指の強豪チームとなった。(C)Getty Images

相棒のストックトン(左)とは抜群のコンビネーションを誇り、ジャズはウエスト屈指の強豪チームとなった。(C)Getty Images

 これだけの活躍ができた理由としては、まず他の選手に先駆け、ウェイトトレーニングを取り入れていたことが挙げられる。オフシーズンは毎日4時間ジムで身体を鍛え抜き、シーズン中も試合の前後にトレーニングルームに籠って、体脂肪率5%以下の見事な肉体を作り上げた。

 この屈強な体格を存分に生かして、マローンはインサイドで他の選手たちを圧倒した。さらに、その肉体美で多くの女性ファンを虜にもした。若い頃のマローンは、NBAでも指折りのモテ男だったのだ。

 トレーニング効果でコンディション調整も完璧になった。「カールが疲労を訴えるのを聞いたことがない」(ストックトン)、「シーズンが進むにつれて、ますます強靭になる。年に200試合あればいいと思ってるくらいだからな」(入団当時のヘッドコーチ、フランク・レイデン)。ジャズ時代の18年間で、出場停止処分以外の理由で欠場したのは5試合だけだった。

 そしてもちろん、最大の要因はストックトンとの鉄壁のコンビネーションだった。「俺にとって彼は兄弟のようなもの。彼に手を出すのは、俺に手を出すのと同じことさ」と語っていたように、彼らの関係は単なるチームメイト以上のものだった。速攻の時も、ピック&ロールでも、測ったような適切なタイミングでストックトンからボールが送られ、マローンはそれを正確にゴールへ配達した。
 
 史上最強のダイナミック・デュオを軸として、ジャズはウエスタン屈指の強豪チームとなった。だが、あいにく80年代後半はロサンゼルス・レイカーズの全盛期。マジック・ジョンソンの引退後もポートランド・トレイルブレイザーズやフェニックス・サンズ、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)が台頭し、彼らの行く手を阻んだ。92、94、96年と、1年おきにカンファレンス決勝までたどり着いても、それ以上先には進めずにいた。

 92、96年はオリンピックで金メダル。オールスターMVPにも89年と地元開催だった93年の2度輝いた。元ミス・アイダホを妻に迎え4人の子どもにも恵まれた。広大な農場を購入し、子どもの頃からの憧れだった大型トレーラーも何台も乗り回した。彼の人生に欠けていたのはただひとつ、究極の目標であるチャンピオンリングだけだった(後編に続く)。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2010年7月号掲載原稿に加筆・修正。

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