パリッシュはマクヘイルを、カリーム・アブドゥル・ジャバー以来最高のインサイドプレーヤーと評し、マジックも「ラリーの動きは止めることができるが、マクヘイルは止められない」と脱帽した。84、85年には2年連続でシックスマン賞を受賞。控えでありながら、マクヘイルはバードに次ぐチームのナンバー2との評価を得るようになった。
しかし、バードとマクヘイルの関係は、必ずしも良好なものではなかった。バードは一旦コートを離れると、驚くほど内気な男だった。それは彼がインディアナ州フレンチリックという、人口わずか2000人の小さな町で育ったことにも関係している。高校卒業後、名門インディアナ大に進学したものの、3週間余りで退学したのは新しい環境に馴染むことができなかったためだった。バスケットボール以外のことにはほとんど関心を示さず、チーム内でもあまり友人の数は多くなかった。
マクヘイルが生まれたのも、ミネソタ州ヒビングという小都市だった。フォーク/ロック界のスーパースターであるボブ・ディランの出身地として有名で、フレンチリックほどではないにせよ、中西部の田舎町には変わりなかった。
生まれた境遇こそ似ていたが、マクヘイルはバードとは対照的な性格だった。セルティックスのチームメイト、セドリック・マックスウェルはマクヘイルを「一言で言えば快楽主義者さ。いつもふざけていて、一緒にいて楽しい男だよ」と表現した。同じく元同僚のダニー・エインジは、親友であるマクヘイルとバードとの関係をこのように説明する。
「彼らは最高の友人同士ではなかったね。一緒に出かけたりはしなかったし、減多に会話もなかった。何か用があれば、ラリーは僕を呼びつけて『ダニー、ケビンにこう伝えてくれ』って言うんだ。で、ケビンもまた同じようにするのさ」
性格の違いを別にしても、マクヘイルはバードを苛立たせる存在だった。バードは、マクヘイルが練習や試合で、全力を尽くしていないと感じていたのだ。それは、彼が最も忌み嫌う性質だったのだ。
「才能だけなら、ケビンは私よりはるかに上なんだ。なのにあいつは、それを生かそうとしていない」
バートは常に、マクヘイルをそのような目で見ていた。もっとも、そう思っていたのはバードだけではなく、バリッシュも同意見だった。
「ケビンは余りにも才能がありすぎるから、全力を出さなくてもそこそこのプレーができるし、それで満足してしまう。常に上を目指しているラリーとは、心がけが違うんだ」
マクヘイルはバードを尊敬してはいたが、人生観はほとんど正反対だった。
「試合に負けても、地球は回るし陽はまた昇るんだ。それが人生のすべてじゃない」
これでは、バスケットボールに全身全霊を捧げるバードとうまくいくわけがなかった。反目しあうとはいかないまでも、埋められない溝が2人の間にはあった。(後編に続く)
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2005年5月号掲載原稿に加筆・修正。
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しかし、バードとマクヘイルの関係は、必ずしも良好なものではなかった。バードは一旦コートを離れると、驚くほど内気な男だった。それは彼がインディアナ州フレンチリックという、人口わずか2000人の小さな町で育ったことにも関係している。高校卒業後、名門インディアナ大に進学したものの、3週間余りで退学したのは新しい環境に馴染むことができなかったためだった。バスケットボール以外のことにはほとんど関心を示さず、チーム内でもあまり友人の数は多くなかった。
マクヘイルが生まれたのも、ミネソタ州ヒビングという小都市だった。フォーク/ロック界のスーパースターであるボブ・ディランの出身地として有名で、フレンチリックほどではないにせよ、中西部の田舎町には変わりなかった。
生まれた境遇こそ似ていたが、マクヘイルはバードとは対照的な性格だった。セルティックスのチームメイト、セドリック・マックスウェルはマクヘイルを「一言で言えば快楽主義者さ。いつもふざけていて、一緒にいて楽しい男だよ」と表現した。同じく元同僚のダニー・エインジは、親友であるマクヘイルとバードとの関係をこのように説明する。
「彼らは最高の友人同士ではなかったね。一緒に出かけたりはしなかったし、減多に会話もなかった。何か用があれば、ラリーは僕を呼びつけて『ダニー、ケビンにこう伝えてくれ』って言うんだ。で、ケビンもまた同じようにするのさ」
性格の違いを別にしても、マクヘイルはバードを苛立たせる存在だった。バードは、マクヘイルが練習や試合で、全力を尽くしていないと感じていたのだ。それは、彼が最も忌み嫌う性質だったのだ。
「才能だけなら、ケビンは私よりはるかに上なんだ。なのにあいつは、それを生かそうとしていない」
バートは常に、マクヘイルをそのような目で見ていた。もっとも、そう思っていたのはバードだけではなく、バリッシュも同意見だった。
「ケビンは余りにも才能がありすぎるから、全力を出さなくてもそこそこのプレーができるし、それで満足してしまう。常に上を目指しているラリーとは、心がけが違うんだ」
マクヘイルはバードを尊敬してはいたが、人生観はほとんど正反対だった。
「試合に負けても、地球は回るし陽はまた昇るんだ。それが人生のすべてじゃない」
これでは、バスケットボールに全身全霊を捧げるバードとうまくいくわけがなかった。反目しあうとはいかないまでも、埋められない溝が2人の間にはあった。(後編に続く)
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2005年5月号掲載原稿に加筆・修正。
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