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NBA

“陽”のウォーカーと“陰”のピアース。正反対の2人が友人、ライバルとして共存できたワケ【NBAデュオ列伝|前編】〈DUNKSHOOT〉

出野哲也

2021.03.15

低迷期の名門セルティックスを支えたピアース(左)とウォーカー(右)。性格は正反対の2人だが、良き友人、良きライバルとして良好な関係を築いていた。(C)Getty Images

低迷期の名門セルティックスを支えたピアース(左)とウォーカー(右)。性格は正反対の2人だが、良き友人、良きライバルとして良好な関係を築いていた。(C)Getty Images

 ボストン・セルティックスといえば、史上最多17回の王座に就いた名門中の名門である。だが、1985-86シーズン以降は20年以上も優勝から見放された時期があった。1987年のファイナルで敗れて以来、2008年に22年ぶりの優勝を果たすまでの間は、カンファレンス決勝進出さえ2001-02シーズンに一度あっただけだった。

 その2001-02シーズンにチームの中心だったのが、ポール・ピアースとアントワン・ウォーカー。名門再建の重責を背負って戦った2人は、結局はそのミッションを果たせなかったものの、彼らの活躍は長く低迷していたボストンのバスケットボールシーンを久しぶりに活気づかせた。
 
■低迷する名門に現れたスター候補生ウォーカー

 ウォーカーとピアースは、大学時代からその名を知られた存在だった。それぞれケンタッキー大、カンザス大という全米でも指折りのバスケットボール名門校に進み、優れた指導者の下で1年生の時から実力を発揮していたからだ。

 ピアースより1歳年上のウォーカーは、ケンタッキー大ではリック・ピティーノ・ヘッドコーチの薫陶を受けた。ウォーカーの勧誘に動いた際、周囲からは「彼は自己中心的な選手だから取るべきではない」と忠告されたが、ピティーノはウォーカーの闘争心あふれるプレーを気に入っていた。

「セルフィッシュと呼ばれる選手は、大抵目立ちたがりだから、上手く導いてやればいいだけのこと。アントワンに問題がなかったわけではないが、彼ほど教えていて楽しい選手はいなかったよ」

 ウォーカーのプレースタイルは、ピティーノの得意とするアグレッシブなオフェンスにフィットした。パワーフォワードでありながら、ポイントガード顔負けのボールハンドリング能力を持ち、アウトサイドからのシュートも得意で、ポストアップして自在に得点することもできたからだ。

 ウォーカー以外にも、ロン・マーサーやウォルター・マッカーティ、トニー・デルク(元セルティックスほか)らの優秀な選手たちを擁し、ケンタッキー大はシーズン34勝2敗の圧倒的な強さで、1996年のNCAAトーナメントを制した。これを置き土産に、ウォーカーは2年生の終わりにアーリーエントリーを決意。ドラフト6位指名でセルティックスに入団すると、平均17.5点、9.0リバウンドをマークしオールルーキー1stチームに選出された。
 
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