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NBA

「ケビンは尊敬に値する」「ラリーは最も近い存在」長い年月を経て“友人”となった最強コンビ【NBAデュオ列伝|後編】

出野哲也

2022.01.27

「バードとマクヘイル、どちらが上か」

 そうした議論すら真面目に語られるようになり、2人はMVPの有力候補と目された。ところが、肝心のマクヘイル本人がMVPに意欲を燃やさないことにバードは落胆した。

「まるで無関心な様子だった。奴はいつの日か、MVPを獲っておけばよかったと後悔するだろう。チャンスは手が届くときに掴まなければならないのに」

 一方のマクヘイルの言い分はこうだった。

「ラリーがいる限り、自分はMVPにはなれないだろうし、それで構わない。年をとったらどう思うかなんて知ったことじゃない」

 セカンド・フィドルという言葉がある。カントリー音楽での第2ヴァイオリン(フィドル)奏者のことで、脇役、引き立て役という意味で一般にも使われる。マクヘイルはまさにバードのセカンド・フィドルであり、そのことを自覚していた。彼が全力を尽くさないように見えたのは、どれだけ努力しても、自分がバードを超えることがないことを、無意識のうちに感じたせいかもしれなかった。

 90年代に入ると、さしものセルティックスにも陰りが見え始めた。バードは腰に、マクヘイルは足に慢性的な故障を抱え、欠場が目立つようになった。デトロイト・ピストンズ、そしてシカゴ・ブルズがNBAの覇権を握り、世代交代の時期が訪れた。
 
 92年、バルセロナ・オリンピックのドリームチーム参加を最後にバードは引退した。最後までマクヘイルと心から打ち解けることのなかったバードだが、年とともに彼に対する厳しい評価は和らいでいった。

「ケビンがいなければ我々が優勝することはなかっただろう。イライラさせられることもあるが、彼のことは弟のように思える。選手としても、人間としても尊敬に値する男だ」

 マクヘイルも93年限りで現役を退いた。いかにも“セカンド・フィドル"にふさわしいひっそりとした引き際だった。だが、これは2人のNBA人生の第一幕の終わりに過ぎなかった。

 マクヘイルは93年、故郷ミネソタのティンバーウルブズに迎えられ、95年に実質的なGMである球団副社長に昇格した。同年のドラフトでは、高校生のケビン・ガーネットを 1巡目5位で指名し、周囲を驚かせた。当時は高卒選手がNBAで通用するとは誰も考えていなかったが、マクヘイルの先見性はそうした常識を覆した。
 
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