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NBA

「ケビンは尊敬に値する」「ラリーは最も近い存在」長い年月を経て“友人”となった最強コンビ【NBAデュオ列伝|後編】

出野哲也

2022.01.27

 弱小ウルブズは次第に力をつけ、2003-04シーズンにはカンファレンス決勝に進出するまでに成長した。しかし04-05シーズン、ウルブズは前評判を大きく裏切る低迷状態に陥り、マクヘイルが自ら指揮を執ることになる。しかし同年も、再び代役HCを務めた08-09シーズンも、プレーオフには進めなかった。彼に代わって09年、新HCに就任したのは因縁のランビスだった。

 その後11年から16年にかけてはヒューストン・ロケッツでも采配を振り、14-15シーズンはカンファレンス決勝まで進んだが、翌年に開幕から負けが込むとあっさり解任となった。

 一方バードは、引退後セルティックスのコンサルタントを務めていたが、97年にペイサーズのヘッドコーチとして故郷インディアナに戻ってきた。98年は最優秀コーチ賞に選ばれ、2000年には球団史上初のNBAファイナル進出を果たしている。心臓疾患を理由に同年限りで一旦身を引いたが、03年に球団社長として復帰した。12年に最優秀エグゼクティブ賞を受賞し、これで選手・ヘッドコーチ・エグゼクティブのすべてで最優秀賞を手にした、リーグ史上唯一の人物となった。
 
 ウルブズ時代、マクヘイルはかつてのチームメイトとの関係をこのように語っていた。

「ラリーやダニー(・エインジ)は、同じGMとしてライバル関係にあるわけだが、それでもいい友人だ。この2人は、私にとって最も近い存在なんだ。ビジネスとしてではあっても、彼らと会話しているととても楽しいし、安らぎを与えてくれる」

 長い年月を経て、バードとマクヘイルの関係は友人という言葉を使うまでに成熟したものになった。ボストンのホームコートで、天井から32番のマクヘイルと33番のバードの背番号が、永久欠番として同じバナーに並んでいる光景は、そのことを象徴しているようにも見える。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2005年5月号掲載原稿に加筆・修正。

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