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NBA

1980年代後半の世界最高センターはアマチュア選手。“ドリームチームの生みの親”アルビダス・サボニス【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.02.16

■1988年のソウル五輪でアメリカ代表を粉砕

 とはいえ、一般のアメリカ人ファンはなかなかそのプレーに触れる機会がなかった。1984年のロサンゼルス五輪は、1980年のモスクワ五輪を西側諸国がボイコットしたことに対する報復でソ連は不参加。冷戦の真っ只中でもあり、サボニスがNBAでプレーできる可能性はないに等しかった。

 にもかかわらず、1985年にはアトランタ・ホークスがドラフト4巡目77位でサボニスを指名する。年齢制限に抵触して指名が無効とされると、翌1986年はブレイザーズが1巡目24位で指名した。1988年、アキレス腱断裂の重傷を負ったサボニスをブレイザーズはポートランドに招待。4か月にわたって、チームの医療スタッフの下でリハビリに当たらせた。

 わずかな期間ではあったが、サボニスはアメリカでの滞在を楽しんだ。「彼の国ではバナナが貴重品らしくてね。毎日大量のバナナを買って差し入れしたから、スーパーマーケットの店員は私らがゴリラでも飼っているのかと思っただろうね」(ブレイザーズの球団関係者)。

 リハビリの一環としてブレイザーズの選手たちともプレーを楽しみ、得意のビハインド・ザ・バック・パスを披露して驚かせていた。
 
 アメリカ代表のヘッドコーチ、ジョン・トンプソンは「オリンピックで対戦する敵国の中心選手を手助けするなんて」とブレイザーズを非難したが、その憂慮は現実のものとなる。

 1988年のソウル五輪決勝で、ソ連はロビンソンやミッチ・リッチモンド(元キングスほか)ら、のちのNBA選手が揃っていたアメリカを撃破。決勝でもサボニスが20得点、15リバウンドと大暴れし、難敵ユーゴスラビアを下して金メダルを手にした。この敗戦をきっかけにして、アメリカはNBAのスター選手をオリンピックに送ることを決めたのだから、サボニスはドリームチームの生みの親と言えるかもしれない。

 ミハイル・ゴルバチョフ書記長が進めた開放政権によって、1980年代末にはサボニスにも海外でプレーできる道が開けた。しかし1989年、彼はブレイザーズではなくスペインリーグのバリャドリーと契約する。アキレス腱を2度も断裂した上、ヒザにも慢性的な故障を抱えていたサボニスは、NBA行きを薦めるコーチに対し「この身体で、NBAでプレーできると思いますか?」と返答した。(後編に続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2011年7月号原稿に加筆・修正

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