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NBA

アンファニー“ペニー”ハーダウェイ——1990年代のリーグで一際眩い輝きを放った“マジック二世”【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.06.18

 メンフィス州大(現メンフィス大)へ進学後も、強盗に襲われ銃で足を撃たれた経験がある。彼が懸命にバスケットボールに打ち込んだのは、暴力や麻薬が日常化していた、苛酷な環境から抜け出すためでもあった。

 幸い、ハーダウェイには天賦の才能があった。201cmの長身でありながら自由自在にボールを操り、コートビジョンやパスセンスも一級品。当時の大型PG(ポイントガード)の常として「マジック・ジョンソンの再来」と言われるようになった。

 1992年には大学選抜チームの一員としてドリームチームと練習試合で対戦。当のジョンソンからも「彼のプレーは、自分自身を鏡で見ているようだ」と称賛の言葉を受けた。3年生時には平均22.8点、8.5リバウンド、6.4アシストと文句のつけようのない成績を残し、プロ入りの機は熟した。
 
■シャックとの黄金コンビで2年目にはファイナル進出

 1993年のドラフトではウォリアーズがハーダウェイを3位で指名し、前述の通りウェバーを指名したマジックへトレードされた。マジックは前年シャックを獲得しており、ビッグマンを2人揃えるよりも、シャックを生かせる優れたPGを欲しがっていたのだ。

 実は、ハーダウェイの獲得をマジック首脳陣に働きかけたのは、ほかならぬシャックだった。彼ら2人は同い年で、高校時代には選抜チームで一緒にプレー。その時は友人関係となるまでは至らなかったが、シャックがプロ入りし、ハーダウェイが大学最終年の時に『ブルー・チップス』という映画で共演する機会があった。

 大学バスケットボール選手をテーマにしたこの映画の撮影中に2人は意気投合。ハーダウェイ自身もドラフト前夜に、マジックの選手たちを交えたトライアウトで実力を披露し、「リバウンド、パス、得点と何でもできる。彼がいればこの先10年、PGは要らない」と、ジョン・ガブリエルGM(ゼネラルマネージャー)に指名を決意させた。

 1年目は正PGのスコット・スカイルズがいたため、ハーダウェイはSG(シューティングガード)としてプレーする時間も多かったが、平均16.0点、6.6アシストと上々の成績をマーク。ウェバーを放出したことに不満で、当初はハーダウェイにブーイングを浴びせたオーランドのファンも、すっかり彼のプレーに魅せられていた。
 
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