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NBA

170cmの日系人がカレッジバスケのスター選手に…【ワタル・“ワット”・ミサカ――NBAで初めて人種の壁を破った男/前編】

大井成義

2019.11.25

■NCAA優勝後、兵役を経て第1回NBAドラフトで指名

 1923年12月21日、ユタ州の州都ソルトレイクシティ(ジャズの本拠地)から北へ車で1時間ほど行ったウィーバー郡オグデンで、理髪店を営む日系夫婦の元、3人兄弟の長男としてワタルは生まれた。父フサイチは1902年(明治35年)に、母タツヨは1922年(大正11年)に、現広島県尾道市からそれぞれアメリカへ渡ってきた移民。父の影響で、3人とも野球をはじめとする球技に親しみながら育ち、とりわけワタルは体格にこそ恵まれなかったものの、バスケットボールの特別な才能を授かった。オグデン高時代には、州のチャンピオンを含む2度のタイトル獲得を果たしている。

 その頃、海の向こうでは第2次世界大戦が勃発していた。高校卒業を翌年に控えた1941年12月7日、日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃すると、それを号砲にアメリカ議会は日本との開戦を宣言。日系アメリカ人が国防に危険をもたらすとの理由から、日系人の強制収容所送致を決定する大統領令が発令され、西海岸一帯とハワイから12万人以上の日系人が、計10箇所の強制収容所へ送致されることになる。
 
『全米日系人博物館』の資料によると、強制収容された日系人の7割はアメリカ生まれの二世で、市民権を持つれっきとしたアメリカ市民。残り3割の日系一世も、市民権こそ持てなかったものの、永住権を持ち20年から40年もの長きに渡りアメリカに暮らす人々だった。彼らは何の罪も犯していない、勤勉で善良な市民である。戦後40年近く経ってようやく国の調査委員会が設置され、日系人の強制収容は「人種的偏見、戦時のヒステリー、政治的指導力の誤った発露」に基づくものだったと認定されている。

 ミサカが住むユタ州はモルモン教徒が多く住み、比較的寛容な土地柄だったこともあり、一家は強制収容所入りを免れた。それでも、以前からあった人種的な差別に加え、開戦後は敵国としての憎悪も激しく向けられることになる。当時アメリカ全土に住む日系人が味わわされた屈辱や強いられた困難たるや、想像を絶するものだったろう。

 ミサカはウィーバー・ジュニアカレッジ(当時は2年制の私立大学、現ウィーバー州大。デイミアン・リラードを輩出)に進学し、バスケットボールでさらなる飛躍を遂げた。所属カンファレンスで2年連続優勝を遂げ、卒業後ユタ大に編入する。
 

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