チーム史上最高の選手と言われるダン・イッセルは、1969-70シーズンに平均33.9点をマーク。通算2138点、1078リバウンドは現在も破られていないチーム記録だ。近年は有力選手のほとんどがアーリーエントリーでNBA入りを果たしているだけに、今後も彼の記録を超える者は現われそうもない。イッセルは卒業後にNBAではなく、ライバルリーグのABAへ行ったが、それはケンタッキーに本拠を置くカーネルズというチームがあったため。75年には同じUK出身のルイー・ダンピアーとともに、同球団の唯一の優勝に大きく貢献した。
78年は決勝でジャック・ギブンスが41得点と大爆発し、20年ぶりの優勝。その後しばらくは栄冠から遠ざかったが、その間もサム・ブーイ、メル・ターピン、ケニー・ウォーカー、レックス・チャップマンらの好選手が輩出した。89年には元ニックスHCのピティーノが指揮官に就任。ジャマール・マッシュバーンら好選手を抱えながらも、最初の数年間は結果が出なかったが、96年は4年生のトニー・デルク、ウォルター・マッカーティ、2年生のアントワン・ウォーカー、1年生のロン・マーサーら、UK史上最高の才能が集まったと言われるチームが完成した。同年はレギュラーシーズンをSECカンファレンスで40年ぶりとなる無敗で終えると、トーナメントでも圧倒的な強さを見せつけ、6度目の頂点に立ち〝アンタッチャブルズ〞の異名を奉られた。
■デイビスやタウンズなど近年はスター選手を輩出
97年を最後にピティーノは再びNBAへ戻り(その後宿敵ルイビル大のHCとなって、UKファンから裏切り者扱いされる)、翌98年は新HCにタビー・スミスを招聘する。UK伝統の攻撃的なバスケットとは正反対の守備重視のシステムを取り入れファンから批判されたが、NCAAトーナメントでは逆転勝ちに次ぐ逆転勝ち。決勝戦でも17点差を跳ね返して9点差で勝利、V7を飾った。
2009年にはマサチューセッツ大、メンフィス大などで実績を残し、NBAでも指揮を執ったジョン・カリパリが22代目のHCに就任。翌年のNCAAトーナメントはエリート8止まりながら、ドラフトでは5人が1巡目指名された。1位のジョン・ウォール(ワシントン・ウィザーズ)、5位のデマーカス・カズンズ(サクラメント・キングス/現ロサンゼルス・レイカーズ)はオールスター選手に成長、14位のパトリック・パターソン(ヒューストン・ロケッツ/現ロサンゼルス・クリッパーズ)と18位のエリック・ブレッドソー(オクラホマシティ・サンダー/現ミルウォーキー・バックス) も、それぞれチームに不可欠な存在となっている。
78年は決勝でジャック・ギブンスが41得点と大爆発し、20年ぶりの優勝。その後しばらくは栄冠から遠ざかったが、その間もサム・ブーイ、メル・ターピン、ケニー・ウォーカー、レックス・チャップマンらの好選手が輩出した。89年には元ニックスHCのピティーノが指揮官に就任。ジャマール・マッシュバーンら好選手を抱えながらも、最初の数年間は結果が出なかったが、96年は4年生のトニー・デルク、ウォルター・マッカーティ、2年生のアントワン・ウォーカー、1年生のロン・マーサーら、UK史上最高の才能が集まったと言われるチームが完成した。同年はレギュラーシーズンをSECカンファレンスで40年ぶりとなる無敗で終えると、トーナメントでも圧倒的な強さを見せつけ、6度目の頂点に立ち〝アンタッチャブルズ〞の異名を奉られた。
■デイビスやタウンズなど近年はスター選手を輩出
97年を最後にピティーノは再びNBAへ戻り(その後宿敵ルイビル大のHCとなって、UKファンから裏切り者扱いされる)、翌98年は新HCにタビー・スミスを招聘する。UK伝統の攻撃的なバスケットとは正反対の守備重視のシステムを取り入れファンから批判されたが、NCAAトーナメントでは逆転勝ちに次ぐ逆転勝ち。決勝戦でも17点差を跳ね返して9点差で勝利、V7を飾った。
2009年にはマサチューセッツ大、メンフィス大などで実績を残し、NBAでも指揮を執ったジョン・カリパリが22代目のHCに就任。翌年のNCAAトーナメントはエリート8止まりながら、ドラフトでは5人が1巡目指名された。1位のジョン・ウォール(ワシントン・ウィザーズ)、5位のデマーカス・カズンズ(サクラメント・キングス/現ロサンゼルス・レイカーズ)はオールスター選手に成長、14位のパトリック・パターソン(ヒューストン・ロケッツ/現ロサンゼルス・クリッパーズ)と18位のエリック・ブレッドソー(オクラホマシティ・サンダー/現ミルウォーキー・バックス) も、それぞれチームに不可欠な存在となっている。