■五輪殿堂入りを決めた誇り高きアメリカン
短縮シーズンとなった98-99シーズン、スパーズは初めてNBAファイナルに進出。相手は第8シードから奇跡的に勝ち上がってきたニューヨーク・ニックスだったが、ユーイングを故障で欠いており、ツインタワーの敵ではなかった。4勝1敗でニックスを下し、ロビンソンはとうとうNBAでも頂点を極めた。
選手としてのロビンソンは、故障もあってその後は衰える一方だった。平均得点は10点台にまで下がり、出場時間も次第に減っていった。「昔は1試合で12点しか取れないような選手を笑ったものさ。ところが今では、私がそのような選手になってしまった」。スパーズも、シャキール・オニール&コビー・ブライアントのレイカーズに阻まれて3年間優勝から遠ざかった。
それでも、引退の2文字を胸に抱いて臨んだ02-03シーズン、スパーズは4年ぶりにファイナルに進出。ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツを4勝2敗で下し、2度目の王座に就いた。優勝を決めた第6戦、ロビンソンは17リバウンドを奪う大暴れ。奇しくもこの数字は、NBAでのデビュー戦と同じ本数だった。
「もう1年ブレーしてくれるように彼を口説きたい」(ダンカン)とチームメイトが別れを惜しむ中、「これ以上のエンディングはない。頂点に立ったまま現役を終えられることを神に感謝したい」 と、ロビンソンは満ち足りた表情でコートから去った。
08年4月、ロビンソンは“アメリカ・オリンピック殿堂”に迎えられた。チーム単位では1956、60、64年の代表が殿堂入りしていたが、個人では史上初めて3つの大会に出場したロビンソンが、初の栄誉を担ったのだ。
「バスケットボール選手である前に、まずアメリカ人である」ことを誇りとし、元軍人の立場から健全な愛国心の大切さを訴えている彼にとっては、大変な名誉だったろう。
その頃、国際大会でのアメリカ・バスケットボール代表は不甲斐ない戦いぶりを続けていて、ロビンソンも忸怩たる思いでいた。“強いアメリカ”を復活させる切り札だったドリームチームは、皮肉にも世界各国のバスケットボールのレベルを格段に向上させ、アメリカを最強国の座から追い落としてしまったのだ。
だが、04年の五輪で苦杯を嘗めたレブロン・ジェームズやカーメロ・アンソニーらが、92年のロビンソンと同じ気持ちで乗り込んだ結果、08年の北京五輪は表彰台の中央に立てた。誇りを取り戻した彼らの姿に、ロビンソンも選手たちと同様強い喜びを感じたのだった。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2008年10月号原稿に加筆・修正
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短縮シーズンとなった98-99シーズン、スパーズは初めてNBAファイナルに進出。相手は第8シードから奇跡的に勝ち上がってきたニューヨーク・ニックスだったが、ユーイングを故障で欠いており、ツインタワーの敵ではなかった。4勝1敗でニックスを下し、ロビンソンはとうとうNBAでも頂点を極めた。
選手としてのロビンソンは、故障もあってその後は衰える一方だった。平均得点は10点台にまで下がり、出場時間も次第に減っていった。「昔は1試合で12点しか取れないような選手を笑ったものさ。ところが今では、私がそのような選手になってしまった」。スパーズも、シャキール・オニール&コビー・ブライアントのレイカーズに阻まれて3年間優勝から遠ざかった。
それでも、引退の2文字を胸に抱いて臨んだ02-03シーズン、スパーズは4年ぶりにファイナルに進出。ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツを4勝2敗で下し、2度目の王座に就いた。優勝を決めた第6戦、ロビンソンは17リバウンドを奪う大暴れ。奇しくもこの数字は、NBAでのデビュー戦と同じ本数だった。
「もう1年ブレーしてくれるように彼を口説きたい」(ダンカン)とチームメイトが別れを惜しむ中、「これ以上のエンディングはない。頂点に立ったまま現役を終えられることを神に感謝したい」 と、ロビンソンは満ち足りた表情でコートから去った。
08年4月、ロビンソンは“アメリカ・オリンピック殿堂”に迎えられた。チーム単位では1956、60、64年の代表が殿堂入りしていたが、個人では史上初めて3つの大会に出場したロビンソンが、初の栄誉を担ったのだ。
「バスケットボール選手である前に、まずアメリカ人である」ことを誇りとし、元軍人の立場から健全な愛国心の大切さを訴えている彼にとっては、大変な名誉だったろう。
その頃、国際大会でのアメリカ・バスケットボール代表は不甲斐ない戦いぶりを続けていて、ロビンソンも忸怩たる思いでいた。“強いアメリカ”を復活させる切り札だったドリームチームは、皮肉にも世界各国のバスケットボールのレベルを格段に向上させ、アメリカを最強国の座から追い落としてしまったのだ。
だが、04年の五輪で苦杯を嘗めたレブロン・ジェームズやカーメロ・アンソニーらが、92年のロビンソンと同じ気持ちで乗り込んだ結果、08年の北京五輪は表彰台の中央に立てた。誇りを取り戻した彼らの姿に、ロビンソンも選手たちと同様強い喜びを感じたのだった。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2008年10月号原稿に加筆・修正
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