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NBA

クライド・ドレクスラ――“神様”マイケル・ジョーダンのキャリアを大きく変えた男【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.10.04

 83年のNCAAトーナメントでは決勝に進出したが、格下のノースカロライナ州大に2点差で敗れ、同年のドラフトにアーリーエントリー。ロケッツに入団する希望は叶わなかっ たものの、14位でポートランド・トレイルブレイザーズに指名され、大学入学当時には夢にも思っていなかったNBA入りが現実のものとなった。 

 1年目は時折目の覚めるようなダンクを見せる一方で、ボールハンドリングや判断力のまずさ、精神的な未熟さを指摘された。とはいえ、新人としてはまずまずの平均7.7点をマークした。これが、間接的にブレイザーズの球団史で最大の失敗を招く。

 84年のドラフトでは、2人の目玉選手がいた。大学バスケット界最高のセンターに成長したオラジュワンと、ノースカロライナ大のジョーダンである。だが、どうしてもセンターを欲しかったブレイザーズは、ロケッツが 1位でオラジュワンを指名したあと、2位でジョーダンではなくケンタッキー大のセンター、サム・ブーイを選択した。 
 
 当時のヘッドコーチ、ジャック・ラムジーは、その経緯を悔恨交じりに説明する。

「ガードはジム・パクソンとドレクスラーがいれば必要ないとの判断だった。あとになって考えれば、ジョーダンを指名してドレクスラーとセンターを交換すればよかったと思う。でも、その頃はマイケルがあれほどの選手になるとは、誰も思っていなかったんだ」

 ジョーダンを取り逃しただけでなく、ブーイが故障続きで大成しなかったため、ブレイザーズは二重の打撃を被った。彼らにとってわずかな救いは、ドレクスラーが当初の期待以上に成長したことだった。2年目は平均得点を10点近く増やし、4年目の86-87シーズンからは6年連続20点以上。空中を滑空 (グライド) するような優美にして華麗なダンクは彼の代名詞となり、名前のクライドとの語呂合わせで“クライド・ザ・グライド”のニックネームでファンに親しまれた。(後編に続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2011年5月号原稿に加筆・修正

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