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NBA

殿堂入りPGのストックトン、そして八村塁らを輩出したゴンザガ大の歴史【名門カレッジ史】

出野哲也

2019.12.20

ゴンザガ大最大のスターと言えばジョン・ストックトン(右)。なお、息子のデイビッド(左)も同大に進学し、現在はGリーグでプレーしている。(C)Getty Images

ゴンザガ大最大のスターと言えばジョン・ストックトン(右)。なお、息子のデイビッド(左)も同大に進学し、現在はGリーグでプレーしている。(C)Getty Images

 しかしストックトンはゴンザガ大にとって突然変異的な存在であり、その後しばらくNBAで活躍する選手は現われず、89年にプロ入りしたマイク・チャンピオンもシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)で2試合に出場したのみ。

 95年にトーナメントに初出場した時のメンバーも、NBAでは大成しなかった。それでもストックトンの影響で校名が広く知られるようになり、徐々にカンファレンス内での地位も上昇。ダン・モンソン・ヘッドコーチの下、2度目のトーナメント出場を果たした99年は、ミネソタ大やスタンフォード大、フロリダ大と上位シード校を次々と撃破。シンデレラチームの快進撃は全米中のファンから注目を集め、学校のウェブサイトはアクセスが集中しすぎてクラッシュしたほどだった。

 結局、準々決勝でこの年王者となるコネティカット大に敗れたが、残り1分まで1点差で食らいつく健闘を見せた。

 この時の主力だったリッチー・フラムは、卒業後フィリピン、トルコを経て2003年にソニックスに入団。4年間のNBA生活のあと再び海外へ働き場を求め、日本のアイシン(現シーホース三河)で現役を終えた。日本でプレーしたゴンザガ大出身の元NBA選手には、元レイカーズで17~19年にサンロッカーズ渋谷に所属したロバート・サクレもいる。
 
 99-00シーズンにはモンソンHCに代わり、マーク・フューがアシスタントコーチから指揮官に昇格。99~01年と3年続けてスウィート16まで進出するなど、すっかりトーナメント常連校になったゴンザカ大には、全米から有望な選手が集まるようになっていた。

 ワシントン大からの転校生ダン・ディッカウは、02年にゴンザガ大初のオール・アメリカン1stチーム入り。03、04年と2年連続でカンファレンスMVPに輝いたブレイク・ステップは、ケガで選手生命を絶たれたあと、プロのポーカープレーヤーに転身している。

 快活な性格で人気者だったフランス出身のロニー・トゥリアフは、ブロックショットを武器にレイカーズとヒートで2度ファイナルに出場し、12年には優勝を経験。通算473試合の出場は、ゴンザガ大出身者ではストックトンに次いで2位の記録である。

 03年に入学したアダム・モリソンは、シュート力の高さから〝ラリー・バード二世〞と呼ばれ、3年時の06年にはシーズンの学校記録となる926点を稼ぎ、平均28.1点をマーク。同年の全米最優秀選手に選出されると、ショーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)のオーナーだったマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)に才能を見込まれドラフト3位で指名を受ける。しかしNBAでは実力不足に加え、ヒザの故障にも見舞われ実働3年でリーグからフェードアウトした。
 

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