60年のローマ五輪にウエストと一緒に出場したオスカー・ロバートソン(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)は、プロ2年目の61-62シーズンに平均30.8点、12.5リバウンド、11.4アシストの年間トリプルダブルを達成。通算では181回、現役のレブロン・ジェームズ(レイカーズ/88回)の倍以上を記録しており、史上最高のオールラウンダーとして名を馳せた。
だがこれらの名選手たちもってしても、セルティックスの牙城を崩すには至らなかった。派手さはなくとも基本に忠実なプレースタイルで、個々の役割を熟知した選手が揃っていたセルティックスは、ボブ・クージー、ビル・シャーマンら50年代の主力が引退してからも、サム・ジョーンズ、ジョン・ハブリチェックら新たな才能が頭角を現わして王朝を維持。60年代の10年間で優勝9回、ファイナル第7戦は4戦全勝と、その勝負強さは際立っていた。
なかでも65年のフィラデルフィア・セブンティシクサーズとのディビジョン・ファイナル第7戦で、ハブリチェックがスティールを奪って勝負を決定づけたシーンは、長い間史上最高の名場面とされていた。60年代で6回ファイナルに進みながらすべての年でセルティックスに優勝を阻まれたウエストは、引退してからも緑色のものは一切身につけようとしなかったという。
唯一セルティックスに土をつけたのは、67年のシクサーズだった。それまで毎年平均30点以上、20リバウンド以上の成績を残しながら優勝に手が届かなかったチェンバレンが、初めて自分を抑えてチームメイトを生かすプレーを心掛けた結果、レギュラーシーズン68勝の新記録を打ち立て、ディビジョン・ファイナルで宿敵セルティックスを4勝1敗と圧倒。そのままウォリアーズとのファイナルも制した。
67年にはライバルリーグとしてABAが結成。初代コミッショナーにジョージ・マイカン(元レイカーズ)を迎えた同リーグは、赤・青・白の3色ボールや3ポイントの導入など、様々な新機軸を採り入れてNBAとの差別化を図る。さらに67年にNBAで得点王に輝いたリック・バリー(元ウォリアーズほか)やシクサーズの大黒柱だったビリー・カニンガムといったスタープレーヤーの引き抜きに成功。NBAが禁止していたアーリーエントリーを容認して有力アマチュア選手も取り込むなど、NBAにとって無視できない存在となっていった。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2016年11月号より転載
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だがこれらの名選手たちもってしても、セルティックスの牙城を崩すには至らなかった。派手さはなくとも基本に忠実なプレースタイルで、個々の役割を熟知した選手が揃っていたセルティックスは、ボブ・クージー、ビル・シャーマンら50年代の主力が引退してからも、サム・ジョーンズ、ジョン・ハブリチェックら新たな才能が頭角を現わして王朝を維持。60年代の10年間で優勝9回、ファイナル第7戦は4戦全勝と、その勝負強さは際立っていた。
なかでも65年のフィラデルフィア・セブンティシクサーズとのディビジョン・ファイナル第7戦で、ハブリチェックがスティールを奪って勝負を決定づけたシーンは、長い間史上最高の名場面とされていた。60年代で6回ファイナルに進みながらすべての年でセルティックスに優勝を阻まれたウエストは、引退してからも緑色のものは一切身につけようとしなかったという。
唯一セルティックスに土をつけたのは、67年のシクサーズだった。それまで毎年平均30点以上、20リバウンド以上の成績を残しながら優勝に手が届かなかったチェンバレンが、初めて自分を抑えてチームメイトを生かすプレーを心掛けた結果、レギュラーシーズン68勝の新記録を打ち立て、ディビジョン・ファイナルで宿敵セルティックスを4勝1敗と圧倒。そのままウォリアーズとのファイナルも制した。
67年にはライバルリーグとしてABAが結成。初代コミッショナーにジョージ・マイカン(元レイカーズ)を迎えた同リーグは、赤・青・白の3色ボールや3ポイントの導入など、様々な新機軸を採り入れてNBAとの差別化を図る。さらに67年にNBAで得点王に輝いたリック・バリー(元ウォリアーズほか)やシクサーズの大黒柱だったビリー・カニンガムといったスタープレーヤーの引き抜きに成功。NBAが禁止していたアーリーエントリーを容認して有力アマチュア選手も取り込むなど、NBAにとって無視できない存在となっていった。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2016年11月号より転載
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