専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

有能な名脇役から稀代の名将へ――スティーブ・カーが歩む勝者の道【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.02.07

2年目に移籍したキャブズで3ポイント成功率50.7%を記録し、早くもシューターとして頭角を現わした。(C)Getty Images

2年目に移籍したキャブズで3ポイント成功率50.7%を記録し、早くもシューターとして頭角を現わした。(C)Getty Images

 2日後、ライバルのアリゾナ州大戦に出場したカーは、7本中5本のシュートを決め、22点差での勝利に貢献。人生最大の試練ですら、彼の正確なシュートを狂わせはしなかった。

 86年には全米代表として世界選手権(現ワールドカップ)に出場し、平均9.2点の活躍で金メダルを獲得。さらに4年生の時にはショーン・エリオットや、のちにMLBのオールスター選手になったケニー・ロフトンらとともに、アリゾナ大をNCAAトーナメントのファイナル4に導く。

 3ポイント成功率は57.3%の高確率で、オールアメリカ2ndチームにも選出された。それでも88年のNBAドラフトでは、2巡目50位という低評価。地元のフェニックス・サンズに入団したものの、1年後にはクリーブランド・キャバリアーズへ放出されてしまう。
 
 確かにカーは機敏ではなかったし、ポイントガードとしてはプレーメイキングのセンスに乏しかった。それでもシュート力だけは本物で、2年目には早くも3ポイント成功率50.7%でリーグトップとなる。

「クレイグ・ホッジスやジョン・パクソン、ジェフ・ホーナセックらを参考にした。みな僕と同じくらいのサイズで成功していたからね。彼らのプレーを研究することで、より良い選手になれたんだ」

 もともと優れたシューターだったが、それに甘んじることなく、個人的にチップ・エンゲランド(デューク大やフィリピンで活躍した名シューター。現スパーズ・アシスタントコーチ)をコーチとして雇い、さらに腕に磨きをかけた。

 それでも、体格と身体能力のハンディキャップ――身長は191㎝あったがダンクはできなかった――を埋めるのは難しかった。オーランド・マジックへトレードされた92-93シーズンには、平均得点が2.6まで下降。「いつリーグから消えてもおかしくなかった」と自らも認めるような状況だった。(後編へ続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年3月号掲載原稿に加筆・修正

【名場面PHOTO】ジョーダン最後のオールスター、コビー81得点、カーターの豪快ダンク……1999-2019 NBA名場面集
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号